『言語起源論』
ヨハン・ゴッドフリート・ヘルダー/大阪大学ドイツ近代文学研究会訳/法政大学出版局/\2000+/1972.3.
18世紀ドイツを生きた、ドイツロマン派を語るには欠かせない人物である。カントより20年後に生まれ、カントの死の2カ月前に亡くなっている。大学教授となり、哲学者として偉大な仕事をなしたカントとは違う形ではあるだろうが、周囲に大きな影響を与えたと見られている。それは、観念論的な傾向を排し、非常に具体的なものに触れての思想であった。今回は、その言語論について大きな注目を浴びた著者を開いてみた。
これは、「叢書・ウニベルシタス」という法政大学出版局の堅いシリーズの1冊として出版されたものである。私にとっては、非常に懐かしいシリーズであり、どの本にも共通したデザインの表紙に、何十年かタイムトリップしそうであった。近年手にしたのはこれが久しぶりだが、調べると、いまなおシリーズは出版され続けており、ついに1000番を突破した、記されていた。もう名前も分からない人々の著作も多いが、レッシングやフーコー、デリダなど、もはや古典と呼ぶべき思想家の名前も垣間見える。
本書の内容は、「解説」に詳しい。というより、50頁ある「解説」の勢いが半端ない。ヘルダーの生涯に始まり、その思想的背景と、影響を与え合った人々についての紹介も十分なされている。
ルソーの影響を受けたカントは、ルソーについての講義も行ったが、学生ヘルダーに対してカントは、小馬鹿にした評価を下していたそうだ。だが、それはカントとの距離を縮め、その後は友人として交わることになったという。尤も、後々ヘルダーはカントに対して猛然と批判の矢を向ける。カントは「言語」を哲学の課題とはしなかったためである。
ともかく当時の学生というものは、現代と異なり、相当に珍しい存在であり、限りなく優秀な才能の持ち主揃いであったのだろう。なにげなく書かれているその経歴も、驚異的な才能と努力を示している。
要するにヘルダーは、当時一般的だった考えである、言語は神から受けた、という常識に猛反対したのである。時に真剣に、時に揶揄のようにして、それに対する反論を繰り返すが、現代的な目で見ると、必ずしもそれは論理的ではなく、反論だと言えるのかどうか怪しいところも多々ある。だが、やはりそれは当時十分な議論であったのだろうし、世に巻き起こした影響も大きかったはずだ。カントもまた、教会を批判したり、信仰を理性的に解したりすることで、相当危ない目に遭っている。ヘルダーは、言語を、人間に起源があるものとするのだが、もちろん当時も、そのような考えは生まれていた。ただ、従来の考えをうまく取り合わせながら、より適切な捉え方へとまとめていくような努力をしているものと思われる。
また、動物と人間とでは意識が異なることも、大きく取り扱って論じているが、当時そのような話題があったのだろうか。動物は機械のようなもの、という捉え方も広くなされていたと思うが、これは学的な分野におけるものなのだろうか。動物と触れあっている庶民にとっては、何か別の「常識」があったのではないか、と私は推測するのだが。
それにしても、人類の発生から言語獲得、また社会をつくるに至る過程や、言語の形成について、これほどの物語を綴るというのは、大した力である。もちろん当人は、それを確実な学問として論じているのであるが、私のような現代人から見ると、これは理論を連ねた物語である。人類の知恵の発生から社会の形成を、言語という素材を用いて物語る、壮大なドラマである。だから、ヘルダーはドイツのロマン主義の最たる者であり得たのだろうか。自由を覚えた自我が、その気持ちの向かうままに羽ばたいてゆく営みを、そこに感じざるを得ない。それは、かつての教会が縛る拘束からの羽ばたきであったには違いないが、それを「学問」としていたからには、やはり当時の「学問」たるものの定義なり領域なりが、私たちの与り知らぬものであったのではないか、とも思われる。思考枠が異なれば、見渡す地平も違ってくる。いま、私たちもまた、想像の翼の中で、学問をしているだけなのかもしれない、という気がしてきた。

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か
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