本

『言語化するための小説思考』

ホンとの本

『言語化するための小説思考』
小川哲
講談社
\1100+
2025.10.

 タイミングがいいとはこのことで、本書を手に取ってまだ読んでいないときに、NHKのラジオ「著者からの手紙」で、小川哲氏がこの本について10分間弱語るものがあった。読む前から、本書の言いたいことの要点を知ることができた。そのせいか、読み始めても読みやすいと感じることになった。
 形は新書のように見えるが、講談社の新書シリーズの1冊とはなっていない。200頁に至らない、薄い本の印象を与える。元々「群像」誌に「小説を探しにいく」と題して連載されていたものだそうで、読者は12の章を断片的に眺めることができるだろうと思われる。
 筆者は、SF的な作品で幾度か賞を受けており、30歳代後半とまだ若い感覚を身に付けているように思う。というより、かねてからの「文学」という考えとは全く別の枠で考えていることが、本書から窺えるのだ。
 それは、自分の感覚を大切にし、自分の見方というものに素直に従おうとしている、ということなのかもしれない。
 そもそも小説の「創作術」に関する本などは読んだことがない。小説の面白さというものは、そういうところにはない、と断言している。だから本書は、小説の書き方なるものを提供するつもりもないのだという。しかし、アイディアが降って湧くというような考え方は退ける。
 さて、そうして一つひとつ自分のスタンスを披露してゆくわけだが、「ギリギリ違法行為をする」ことと、「絶対に法律違反をしないようにする」こととを、エンタメの小説を執筆するときに気をつけている、などと言って、読者を困らせる。その真意については、ぜひ本書をお開き戴きたい。
 時にビジネスの世界での考え方や見方を取り上げて、特にそのベンチャー企業については、小説家と似ているところを説き明かすなど、読者に読まれるもの、読者が求めるものというものを意識した視点を提供する。小説の中の人物のもつ情報量と、読者が得る情報量との間に差があればあるほど、文章は読みにくなるであろう。読まれるものというのは、その差を最小化することなのだ、と著者は言う。それが「読みやすさ」なのだ、と。
 また、新人賞を選考する立場に立ったとき、見えてくるものを綴った章もあり、こうした視点の変換は、実はとても貴重なものであると考える。初めて出会う人に伝える、という基本的なこ咎、如何に大切かを教えてくれるというものだ。
 そして、著者と読者との間に、コミュニケーションが成立する、というのが作品という場であることを改めて語る。しかし、それは口で言うほど簡単ではない。「小説家は作品の世界に読者を招き、伝達したい情報をより簡潔に、より深く知ってもらうために言葉を費やしているのだ」(p75)は、至極ご尤もであるにも拘らず、私たちが目を逸らしがちな基本である。それは何も小説に限らない。
 また、ラジオでも話していたことだが、伏線は存在しない、というちょっと奇を衒ったような言い方も、読者の目を惹くものである。そもそも伏線と出来事の連続こそが、小説というものを成立させているのだ。改めて伏線などと説明を施すことのほうがおかしい、というのである。「小説とは伏線そのもの」(p86)なのである。
 小説を書こうとする人が本書を参考にするものではない、という、ちょっとした逃げの構えから本書は始まっていたのだが、しかし書こうとする人にとり、知りたいのはアイディアの出所である。これについても著者は、変にアドバイスはしない。「書いてしまったこと」から「新しい視点」を見つけてゆく、という、自分が修士論文を書いたときの経験を基に得た知恵を、体験的に話すに留まっている。
 何にしても、小説家として何かしらの成功を収めた人の言うことは、すべてが間違っているはずがない。だが、そこはやはりひとつの成功談である。それを普遍的な入口にすることはできない。ビジネスで成功した人が、こうすれば成功する、という本を出せばそれなりに売れるが、だから同じように成功する人が爆発的に増えるわけではない。著者もまた、それは分かっているから、そうした方向で発言はしない。せいぜい「面白いとは何か」をこれからも考えていきたい、と言うに留まる。それでいいのだ。小説というものを書いて、それなりに世に受け容れられた人の体験談がここにある、それだけでいい。




Takapan
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