本

『現代思想入門』

ホンとの本

『現代思想入門』
千葉雅也
講談社現代新書
\900+
2022.3.

 現代思想について発言力のある若手である。とはいえ、執筆当時で43歳。脂ののった時期と言ったほうがよいだろうか。非常に頭の良い人である。現代フランス哲学を語らせると、終わりがきそうにないほどに、何についてでも語ることができるものと思われる。
 一般的な著作も多く、分かりやすく説くということについても、定評がある。その著者が、実にシンプルな、正攻法によるタイトルをつけてぶつけてきたということは、それなりの自信があり、また力をこめた、というように考えてよいのではないかと思う。
 確かに、たとえば「二項対立」という言葉を、さらに理解しやすい言い方で丁寧に説明するようにして読者を誘い、それがデリダの強調点なのだ、などともちかける。エクリチュールというおなじみの概念も、読者が忘れやすいであろうことを鑑みながら、たとえ忘れてもそのまま読み進められるような配慮をしているように、私には感じられた。親切である。
 そうなると次はドゥルーズになる。デリダとどうつながるか、どこに差異があるか、明確にしながら、この流れの最後には、フーコーへと至る。フーコーは、新書の1コーナーで語れるような哲学者ではない(他の人ももちろんそうだ)が、ここまでの話の流れを活かした形でまとめる。「ここまでのまとめ」という項目が用意されているから、本当に読みやすい。それによると、デリダが「脱構築」をキーとして現代思想をリードしたようなものであり、ドゥルーズは「存在の脱構築」を行ったという。そうすると、フーコーが「社会の脱構築」を果たしたことになる。
 このようにまとめただけで満足するのが普通の著者であるが、本書のウリはたぶん次にある。それは、この思想を理解するために、どういうことに注意すればよいか、と教えてくれるのである。たとえば今の章でいくと、「まず、二項対立の脱構築というデリダの論法に慣れる」ことが必要だという。この後フーコーに至るのだが、短い叙述の中に、読者の心に響くサービス感が十分現れているものと私は感じる。
 次の段階は、ニーチェとフロイト、そしてマルクスである。フロイトは、一時流行したのを思えば、いまや過去の遺物のように見られているようにも見えるが、思想史を考える場合には、どうしても省くことのできない大きな足跡を遺していることは間違いない。これは、そこに書かれてあるように、「現代思想の源流」なのである。  ここも、流れの溝を大きく外れることがないように、ずいぶんと単純化されている。これら三人は、ばらばらのようでありながら、「みずからの力を取り戻すという実践的課題」へと流れ込むのだという捉え方を提示する。
 次の段階は、ラカンとルジャンドルである。よく知られているのはもちろんラカンであろう。そこには精神分析色が濃くなるが、カントの物自体を用いて説明されると、私には心地よかった。その程度をラカンについて理解したならば、あとはよい入門書があるということで推薦が挟まれる。なにもかもここで話すことはもちろん無理ではあるが、読者のその後の探究の道を備えるというのは、非常に親切なことであると私は思うものである。
 それから「現代思想のつくり方」と題して、現代思想全般を捉えてみようという、これまでに紹介した哲学者を皆登場させて、大きな思想史の動きとして提示する。視点が違うということをはっきりとさせているだけに、読者に対する親切さを、また強く感じる。
 そうなると、いまはどこにいるかというと、「ポスト・ポスト構造主義」とでもいうのだろうか。まだその命名については、後の世代の仕事となるのかもしれないが、構造主義が画期的だったとしても、それの後継たるポスト構造主義、さらにその後ということでのポスト・ポスト構造主義へとつながるとしてよいのかどうか、私には分からない。思弁的実在論が期待されているかもしれないが、まだカオスの中にあるような世界だが、それは単なる謎であるのではないだろう。私たちは、今ここを生きるという唯一の歩みに置かれているのであり、ただそこには問題がひしめいているという意味での、謎めいたことがあたりまえのものであるというのである。
 最後にある、すばらしいサービスにも言及しておくべきであろう。「付録」とあるが、もしかするとこれが本書の最大のウリであるのかもしれない、とさえ思う。それは「現代思想の読み方」と題したもので、難解な現代思想の文章を、どのように読めば理解しやすくなるのか、まるで学者において門外不出であるような業をレクチャーしてくれているのである。教育的配慮はここまでもずいぶんとあったが、私の知るかぎり、このようなサービスをしてくれている一般向けの本というのは、心当たりがない。
 まるで学習塾で私が、国語の文章の読み方のコツを生徒たちに教えるようなものをそこに感じる。こう読めばいい。それを、フランス哲学を舞台に、ドゥルーズとデリダの文章(もちろん邦訳)を例に挙げながら、読み方を丁寧に教授する。まことにこれでは受験参考書である。もちろん、その業をここで明らかにするような、営業妨害を私はするつもりはない。どうぞお求めの上、味わって戴きたい。この参考書は、素人たちにとっては、まことに役立つこと間違いない。




Takapan
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