『現代思想12 2023vol.51-15 特集・感情史』
青土社
\1600+
2023.12.
感情を論ずる、というのは困難なことだと思われる。論ずれば、すでに感情ではなくなってゆく。人それぞれの感情はずいぶんと異なる。そこに普遍性をもつような言明をすることは、無理なのではないか。だが、それでもなお、あるいはそれだからこそ、何らかの規定を試みるというのは、哲学者の性なのかもしれない。
デカルトの『情念論』が思い起こされる。良くも悪くも、近代的な思考のあり方を方向付けたデカルトの描いた、感情論である。しかしもちろん、それがすべてではない。そこから、感情を規定するということへの道が始まり、いまはそれが、心理学という分野で探求され、また実用化されている。精神医学において、また法学においても、実用という観点からも重視されるべき領域になっていると言えるだろう。
おなじみの『現代思想』誌であるが、ずいぶんいろいろな分野で「感情」が考察されているのだと勉強になった。私はその道については疎いと言ったほうがよいので、おおまかなご紹介に留まるが、本誌は最初はまさに「感情史」とは何か、という方面で書かれた文章が集められていた。そう、特集は「感情論」ではなく、「感情史」なのである。歴史の中で感情がどう扱われていたか、それはどこから来て、いまどこにいるのか。そして、これからどこへ向かおうとしているのか。どこへ向かうべきなのか。
それからは、フィールドを狭めた形で、経済学や特定の雑誌、心理学や医学的な方面からなど、各場面での感情の取り扱いについて、半ば報告のようなところから入るようなものも含めて、多彩である。政治的な面で感情をどう捉えるか、ということは、実は世界を揺るがしかねないからくりである、とも言える。20世紀の独裁者が、群衆心理についての指摘を丹念に読んでいた、ということが知られている。今風の、マニュアル的でセンセーショナルな本ではないのだが、こっそり呼んで学べば、何らかの参考になることは確かであろう。
先にデカルトの名を挙げたが、その頃の大思想家として、スピノザとライプニッツとを絡めた、まさに近代の始まりとしての感情を論じた時代を取り上げたものもあったし、感情はどのように言葉になるのか、リルケを例に考察したものも興味深かった。特集の最後には、「雰囲気学」という新たな分野を開拓しようとする意気込みの論文もあった。そういえば、この「雰囲気」という言葉自体、なにか不思議である。ここで指摘されているように、聖書世界ではそれは「霊」や「魂」の意味になるものだが、元来は「風」である。しかし東洋では「気」という文化が、その概念に近い。「気配」とは何か。こうしたことを一つひとつピックアップして考えていくのは、何か楽しそうである。そこでは言及されていなかったが、近年注目されている「クオリア」という捉え方は、それと何か関わる可能性はあるのだろうか。多分に「雰囲気」の方が、より広義に、あるいは広範囲に捉えているかもしれないし、そもそも果たしてそれが言語化できるのかどうか、という懸念も混じる。今後、「雰囲気」という概念が比重を大きくすることがあれば、きっとまた思い出される論文となることだろう。
ところで私は個人的に、やはりキリスト教における感情というものを扱ったものが、特に心を惹いた。それは、ヘレニズムからヘブライズムへの動きを捉え、古代の哲学者から始め、ローマ皇帝すら哲学者たる働きをしたところをまず押さえる。そして、そのローマ帝国において、キリスト教関係からは「殉教者」を出してゆく。そこにはどういう感情が伴っていたのだろうか。確かに考察の道がある。キリストが私たちの罪を担い、罪を贖った、というのは信仰の信条でもあるのだが、ここにもまた、十字架のキリストに涙する一種の感情が関わる。それは理性によるものではない。かといって、たんに「信仰」と言って済ませるには、人間の心的な何が関わるのか、ということがよく分からない。それは「霊」だというのが従来の決まり文句なのではあったが、「霊」が「感情」と関わるというのは、先に挙げた「雰囲気」にもあるように、不思議なことではないだろう。そのキリストの「受難」自体が、英語では「パッション」なのである。情熱へとつながる言葉で表されている何かが、そこにあるようにも思われる。また、特に中世では、「聖」という概念に基づき、修道院での信仰生活というものの理想型がはっきりされた。そこには感情たっぷりな信仰があったのではないだろうか。それは、「感情的」だった、と言っているのではない。五感や感情が豊かにそこに備わり、身体的な全身が関わった命あるものとして捉えるべきだ、というふうに考えたいのである。その論文がそのように述べているわけではないが、私はそれを読みながら、いろいろ考えさせられた。本論文では、修道院からいわば離脱したような激しい恋愛感情のあったことが、後半では扱われており、非常に興味深いものであった。これはなかなか聞く話ではない。
いやあ、『現代思想』は、いつも勉強になる。知らない世界を、たくさん教えてくれる。すべてを買うわけではないが、毎年新年号は特に大きな特集となっている。本号に予告された次号新年号も、また読むことに決めた。

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