本

『現代に生きる教会』

ホンとの本

『現代に生きる教会』
森野善右衛門
新教出版社
\1500+
2017.12.

 題に続いて「対話・共生・平和」と掲げられているが、内容は、『上毛通信』として自ら発信していた文章の内容を集めたものである。大きく内容は、「論座」「現代的教会論を問う」「惜別」「聖書に聴く」に分かれて編集されている。タイトル通り、全体的には、教会について問うものが多いと言える。
 日本キリスト教団の教会の牧師を長く務めてきた。だが、教団に対して意見は強く述べてきた。本書の中にも、教団に対する堂々とした批判と意見を述べている。抽象的に、教会はこうあるべきだ、というような議論ももちろんあるのだが、具体的に教団がしてきたこと、その考えの中にあるものについてなど、かなり大胆に述べているところがある。それも、教会そのものをよくするためであるならば、こうした言論は、教団に於いてどのように響くのか、そこまでは私には分からなかった。いくらこう述べても、受け流すだけで終わっているのか、何かしら真摯に議論に取り上げたのか、その後日談のようなものが私は知りたいと思った。
 当時、日本基督教団成立75年の時期であったが、その成立について、当の教団としては、神の摂理の中で成立した、というような謳い文句ができあがっているが、そんなものではないだろう、と著者は言う。天皇一筋の統制の下に、仕方なくまとめあげられたに過ぎないことを、どうしてちゃんと立てられないのだ、という勢いである。しかも、戦争協力のようなことについての罪責告白をまとめあげたのは、戦後22年目になってようやくのことである。
 エキュメニカル運動についても、自らを、そして教団を顧みつつ、今後の平和のためにどうすべきかの考えを述べる。新教出版社の森岡巌氏の著者を巡っての文章では、信濃町教会で巡り会った高倉徳太郎牧師のことを踏まえながら、ボンヘッファーの「服従」を軸に綴ったその本のエッセンスを辿るように綴っている。かつて権力の前に屈服したことを振り返り、いままた改めて罪責告白をするかのような文章であった。
 教会の最近の歴史は、必ずしも褒められたものではない。批判をこれほど真っ向からぶつけるという人も珍しい。しかも教団の重鎮である。政治の世界なら、これは分裂の道である。あるいは、年寄りの遠吠えということで、現場はまるで無視をするのかもしれない。しかし本書は、教会を新たにする提言に満ちている。もしかすると、教団の方では、本書のような提言を、全く気にしていないのかもしれない。その辺りの事情を、もっと知りたいと思う。これは陰で適当に言わせているだけのものに過ぎないのだろうか。それとも、内部では、悔い改めのようなことが進んでいるのだろうか。
 教会はどこに立つか。そういう名の章がある。そして具体的に、教団の教会論を問う、と題して、聖礼典について、教義について、また合同教会という成り立ちについて、曖昧にせず問題にしようと努めている。
 親しい人を天に送ったことで寄せた言葉も、後半で並べられている。福田正俊牧師、それから福田正俊著作集の出版に関わった秋山憲さん、さらに森岡巌さんや木村知己牧師や通木一成牧師への文章、それから市民活動家の猪上輝雄さんを送ることばまで載せられている。
 最後に並ぶのは、説教集である。但し、それぞれはエッセンスだけをまとめた、短い文章である。こういう本であるだけに、教会を思う熱い気持ちが伝わるものが集められている。
 副題にあった「対話・共生・平和」という言葉は、著者の思い入れを知らせるものであるだろう。但し、どこかありふれたその指針よりも、ひたすら「教会」というものを憂いつつ、攻撃しつつ、そして希望の道をつくるものとして、「教会」だけを構えてもよかったのではないか、という気がする。
 そして、本書は戦後70年を経ての訴えである。私が本書を手に取ったのは、戦後80年にあたる年であった。本書後の10年は、果たして何であっただろうか。本書の熱い思いは、どのように実現したのだろうか。そちらの方向付けを、得ていると言えるのだろうか。




Takapan
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