本

『現代のイエス伝』

ホンとの本

『現代のイエス伝』
A.M.ハンター
竹森満左一訳
新教出版社
\500+
1956.2.

 まあ、なんとも古い本を持ちだしてきてしまった。価格などは参考にもならない。しかし悼辞ははり高かったことだろう。
 主イエスの御業と御言葉――そのように副題が付けられている。今からすれば古の学者が力をこめて説き明かした、そのころ最新とも見られた、イエスについての研究所であり、啓蒙書である。ひどく専門的なにおいはしない。かといって、生やさしい入門書のようにも見えない。学術的な情報を多分に盛り込んだイエスについての紹介であり、また筆者独自の解釈を前面に押し出した形での味わいを覚える本である。
 もちろん題材は、福音書である。本書はイエスの生涯を、それぞれの福音書の特徴を読み取りながら、そこにそのように書いてある理由について一定の理解を置きつつ読み進むという形をとっている。いかにもざっくりという感がないわけではないが、マタイとルカの方向性の違いによって、細かな表現における聖書理解を深める知識を授けていく。いまでこそ常識となっているようなことも、半世紀以上前のことであるから、斬新な理解であり、研究であったことだろう。大きく批判も受けたに違いない。
 その意味で、いまこれを繙くと、案外分かりやすい導入書となっていると見ることもできるように思われる。
 ユニークだと言えるであろうことは、福音書を分解して、Q資料を想定する、というところまでは誰でも口にしていることだが、著者はこれを手ずから実行し、本書の巻末に掲示していることである。そればかりか、マタイ資料というものはこうではないか、というマタイ独自の福音書資料、同様にルカの資料も、まとめあげて掲示しているのである。つまり、端折ったような福音書がいくつも掲載されているのである。さすがに全部そこはまともに読みはしなかったが、ユニークな企画である。これが巻末を結構割いているといえ、p265〜339までがこの資料集となると、確かにこれが要するに言いたいことなのだ、とも考えられるであろう。実験的な試みではあると思うが、おそらく当時著者は、それなりに自信たっぷりにこれを世界に向けて公表したのであろうと思われる。
 本文として、原典にあったかどうかは極めて疑わしいものとして、当時指摘されていた部分をその都度示し、できる限りオリジナルの福音書の姿を再構成しようと努めている。それが、イエスの元来の姿を表すことになるだろうと思われるわけだ。だが、その点、いかに最初に「ルカ」が著したものが見つかったとしても、それは「ルカ」の手を通しての著作である。その描写と、地上を生きたイエスとが一致するという保証はどこにもない。依然として、弟子たちが描きたかったイエスの姿がそこに現れてくるに過ぎない。その点、テクストがいかにして成立したのかという点や、そもそもテクストと現実とがどういう関係になっているのか、という議論は必要である。文献として遺された聖書というものが、私たちにどのように呼びかけるものをもっているのか、私たちは様々に議論する部門を有している。
 ただ、そんなことを言っていて立ち止まっていても始まらない。本書は、Q資料とマタイ、ルカの取り扱った資料への、ひとつの挑戦である。このスピリットは、研究者に与えられて、また今日も、聖書についての有意義な発見や理解が進む原動力となっている。コンピュータ時代になり、情報処理能力が格段に上がった今、さらに写本の発見や理解がまた変わってきた今、まだ聖書の文献としての調査は、始まったばかりであるかもしれない。その良き金字塔を建てたとも言えそうな本書であるが、内容は保守的な信仰を示しているから、案外、信仰生活のために、そして聖書をそのために読みたいと思う人にも、かなり親しめるものではないかとも思う。聖書をどう神の言葉だと理解するかによっては、抵抗を覚える人がいるかもしれないけれど。




Takapan
ホンとの本にもどります たかぱんワイドのトップページにもどります