本

『現代思想2021 vol.49-4 教育の分岐点』

ホンとの本

『現代思想2021 vol.49-4 教育の分岐点』
青土社
\1500+
2020.4.

 共通テストや35人学級というふうに大きく変化を見た昨今の教育界。さらに、2020年春からの新型コロナウイルスの感染拡大に伴う一斉休校という、前代未聞の事態を経験して、教育の現場はどうなっているのか。一種の雑誌であるから、全体としてまとまりがあるわけではないが、多岐にわたる声が集められる。特別な主張を手を変え品を変え出してくるのではないが、編集の方針というものはあるだろうから、一定の方向性を保ちつつ、オピニオンが流されてくる。なかなか読み応えのある一冊である。「現代思想」は、骨のある原稿が多いが、決して専門的に過ぎるものではないので、お薦めである。
 本書では、高校と大学を接続するという焦点を見据えつつ、新たな入試改革を徹底的に考察しようという意気込みがまず対談で明らかになる。具体的に、実施された国語についての分析は細かく、そのプレテストとの比較などを含めて、ほかでは見られない詳細なレポートとなっていたように見える。この入試改革のための理想をなんとか盛り込もうとしながらも、どうにもできないジレンマのようなものがそこに現れているとのことだった。それは今後実用的な国語という形で、文学的なものを少しも交えない論理国語を導入することになっていることへの関連から、現実の「論理」というものは、感情を含めた理解というものではないのか、という疑問が呈されていた。尤もなことだと思う。論理が通じないのはもちろんだが、感情の類推自体がそもそも危機的なのだ。また、そのためには知識自体と、知識への関心の欠落が作用していることを見落として、うわべだけ論理を辿ってもだめだということを私は感じた。
 英語教育については、鳥飼久美子さんが、温かな、しかし厳しい視点を呈してくれた。楽しく英語を学ぶためには、読むことへの関心を蔑ろにしてはならないこと、同感である。店でメニューを注文することができてうれしいという程度のような会話を重視するのではなく、異文化コミュニケーションの理解を根底に置いておかないといけないというのは私の持論だが、そうした方向性があると思った。ディベート能力をつけないと国際社会で勝てないという政府の焦りの見解が作用しているのかもしれないが、それなら英語でない部分でもっとそれを心がけないといけないし、教師の労働環境からして、その理念の下に改善されなけばならないと私は実は考えている。
 だからその教師側の問題もここで当然検討される。労働環境の拙さは、いまやブラック当然という常識に塗られている教職であるが、具体的に、少人数学級の問題から、そもそも教員を採用するシステムにも、焦点が当てられる。そして頻繁に取り沙汰されるのが、1971年制定の給特法である。これは、わずかな手当が付けられた後は、どのように働かされてもただ働き同然であるという仕組みである。これは現場の教師でなければあまり知られないものかもしれない。世間では、教師が長時間働いているとは知っていても、その分残業手当があるのだろうなどと考えている可能性もある。違うのだ。その法律の背景と、それがもたらした現状とが、複数の論者から鋭く指摘されている点は、私たちも真摯に受け止めたい。
 特にこのコロナ禍における教職員の労苦は察して余りある。ただでさえ倒れそうな業務の多さに加えて、消毒やら感染予防で気を配る常時の業務が、恐ろしいくらい襲いかかるのである。そしてネット授業が突然舞い込む。もちろん長期的視野で導入が示唆されていたのだが、それがリモートの必要から突如舞い込んだのだ。これは塾でも同じだから分かるが、そもそもネット環境にない過程も多々ある一般の小中学生にどう及ぶのか、現場の苦労はたまらなかったことだろうと思う。
 そうしたコロナ禍の教室の様子を、ユーモアと言っては失礼だが、笑わせてくれるような形で伝えてくれた岡崎勝さんは、一度にファンになった。いや、これは笑わせようとしているのではない。如何に制度が奇妙なものであるのかを浮き出させるために、極端な表現や、絶妙な喩えを用いてくれていたのだ。
 移民の子どもたちの苦労についても、冷たい行政の態度に、なんとかならないのだろうかと子どもたちとその家族の思いに共感するばかりだった。部活におけるクラスターの実態も、現場から教えてもらうと、切実さとままならぬ様子が痛々しく分かった。
 知らなかったことは、教育テレビについてであった。そもそも民放の開局が、教育テレビを主軸として回っていたということは目から鱗が落ちるようであったし、だからこそ、テレビがどのような道を辿ってきたかも、なるほどと思えることばかりであった。いまEテレと名前を変えたが、その生涯学習へのシフトは、すでに常識となっていると思うが、そこへ至るテレビの歴史というものを、短い頁数の中で鮮やかに描いた木下浩一さんの腕前が輝いていた。
 最後の、性教育の歴史も、教えられることが多かった。多様性が認められるようになり始めたいまへと続く、過去の有様がはっきりと示されていた。
 このように、いまを生きているだけの私たちでは知りえない情報や歴史を、よく伝えてくれるものが目立ち、改めて歴史というものが大切であることを知った。この特集号は、教育について少しでも関心のある方、論じようとしている方には、手許に置いておくべきものではないかと切に感じた次第である。




Takapan
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