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『現代聖書講座 第1巻 聖書の風土・歴史・社会』

ホンとの本

『現代聖書講座 第1巻 聖書の風土・歴史・社会』
木田献一・荒井献監修
日本基督教団出版局
\5800+
1996.9.

 全三巻のシリーズであるが、他の二巻はすでに入手し、読んでいた。聖書学を問うものと、現代との突き合わせを重視するものである。しかし、価格の問題もあって、この第一巻はなかなか手許に得られなかった。相場を日頃から見張っているわけだったが、あるとき値が下がったことを知った。しかも届いてみると、なんという美本であろう。実にお買い得だった。
 本巻は、聖書の背景に特化した特集を組んでいる。従って、歴史の学習と呼んでもよいようなものである。また、地理的な知識、気候や風土が、文字によってではあるが、ふんだんに語られる。それぞれの学者の得意分野から、オーソドックスな説明もあれば、大胆な仮説めいたものも含まれ、読者として愉しめる構成となっている。
 聖書は言葉で伝えられている。当時の文化や環境を知る人には、その言葉のままに響くであろう。だが、私たちは文化どころか、時空共にかけ離れている。訳された言葉を私たちがイメージしたところで、伝えたかつての人々の見たものや体験したものとは、全く違うものであろう。もちろんそのままに体験することは、私たちにはできない。だが、少しでもそれに寄り添うかのように聖書を読むことはできないだろうか。知りたいとは思わないだろうか。
 自分勝手に、思い込みで聖書の意味を読み取っていたことに、反省させられることしきりである。このような生活環境で、イエスの言葉を聴いていたのだ、という人々の思いを想像させられる。政治状況からすれば、このような気持ちで毎日過ごしていたのかしら、と想像させられる。その想像もまた、現在のこの私の立場からのものには違いないが、遠く思いを馳せる経験は、かけがえのないものであろう。
 400頁ほどにもなる大部である。それでも、じわじわと、一日一章ずつでも読んでいけば十分愉しめる。これは読後でよいと思うのだが、最後の「解説」では、旧約と新約とで執筆者を分けつつ、本書の各章のあらましとその評価が記されているので、概略を知るのにはとてもよい。また、「キリスト教徒たちが現実に生きた風土と歴史と社会を見きわめようとする」のが本巻の目指すところであるが、それこそが「聖書の健全な理解」である、と教えている。私たちが聖書を読む姿勢についても、背筋をぴんと立たせてくれるような気がする。
 聖書の研究について、ここでは冷酷に時代の中の文献や、一般的に認められている歴史の史料から、学的なレベルで告げられている。旧約聖書の記事で現実のものとは考えられないというレベルの聖書記事については、何のためらいもなく、そのように述べている。聖書に対して文字そのものを素朴に信じている人にはショックかもしれない。私からすれば、信仰と歴史的事実とを無理に一致させようと議論を創り出す必要はないと思うのだが、仏教などとは違い、キリスト教がどうしても歴史の中における出来事と関わっている以上、聖書の記録の歴史性までもが、唯一無二の実際に起こった事件でなければならない、と固く信じる人がいるということも、理解できる。聖書の背景についての研究を無視するのはもったいないと思うのだが、そういう方は、本書は遠慮なさった方がいい。だが、聖書がどのような形で受け継がれてきたのか、その背景でどのような政治状況があり、人々の暮らしがあったのか、そんなことにも、少しは関心を抱いて戴けたら、と願っている。
 とは言っても、世界史の知識に乏しい私にとって、これほどの詳しい歴史の経緯というのは、荷が重かった。否、聖書に書かれた事件に沿って記してもらっているので、右も左も分からない、ということはない。特に、旧約聖書続編というものをけっこう愛している私にとっては、その時代の歴史の説明は、わくわくした。ただ、どうしてあのような考えを起こし、あのような方策に出たのか、それはやはり、背景を教えてもらうことによって、初めて肯けるというのは本当である。学ぶことはよいものだ、とまざまざと感じた。
 学術水準は高いが、これらは論文ではない。だから煩瑣な注釈は全くない。それが読みやすさの一因であったと言えるだろう。しかし、参考文献と索引は充実しており、ここから手を広げていきたい人や、読み直して調べたい人、疑問に思ったので訳を知りたい人にとっては、親切である。もはや四半世紀前の本であるから、内容的にさらに研究の深まりや、学説の塗りかえがあったかもしれない。それについては、また別機会で知るようになればよいだろう。20世紀のうちに成立した本書は、素人にとってもありがたい講座である。




Takapan
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