本

『学問のすすめ』

ホンとの本

『学問のすすめ』
福沢諭吉
佐藤きむ訳・坂井達朗解説
角川ソフィア文庫
\667+
2006.2.

 「すゝめ」ではないかと言われそうだが、本書の題は「すすめ」である。著者も「福沢」である。角川ソフィア文庫の「ビギナーズ」シリーズのうち、「日本の思想」の一冊として、現代語に「訳された」ものなのである。お陰で、いくら明治とはいえ殆ど古文調あるいは漢文調のようにしか見えない文章が、いま私たちに語りかけるような言葉として、ここに迫ってくることができるようになった。
 天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと言えり。これは誰もが口に言えそうなフレーズである。だが、それで終わる。後は、紙幣に顔がついていて、というような具合になるのだろうか。
 その発言はいろいろ物議を醸したこともあるという。この「学問のすすめ」にしても、途中にたいそうな騒ぎになった箇所がある。命を捨てて犠牲になっても何の益があろうか、というような呼びかけに、なんたることか、といきり立つ人々がいたというのである。さもありなん、とは思う。しかも、明治初期を想像してみるとよい。江戸末期から太平洋戦争にかけて、あるいはその後もあるにはあったが、日本には「暗殺」という言葉が日常のようにありえた歴史がある。けしからんやつがいるとなると、我こそは正義なりという正義感の故に、気に食わない者を成敗するのである。あるいは「天誅」とも言うが、紛れもなく個人の正義感の故に、そうするのである。  これはもう今はないのだろうか。とんでもない。SNSでは普通に、人を殺す言葉が飛び交っている。あれと同じ心理とも思える。さらに具合の悪いことに、SNSだと自分が殺している意識がないものだから、いくらでもエスカレートして、何度も繰り返し、また大勢でたたみかけてくるのである。言葉の暴力を正義とする確信犯が巷に溢れており、止めどがない。
 福沢もこれを恐れて隠れて生活していたことがあるということが、巻末に紹介されていた。
 西洋に学ぶ、西洋の考え方を取り入れて、日本を建て上げようとする。不平等条約を不条理と考えても、それをどうにもできない中では、自立した思想をもち独りで歩ける大人にならねばならない。そのためには、知識を増やし、自ら考える存在とならねばならない。この啓蒙とも言える試みは、当時画期的だったことだろう。今ならそうした声を出せば一斉に叩かれる。おまえは何様のつまりだ、威張るな、妄想を叩くな、と出る杭は打たれるのである。その意味では、福沢はとても純粋で、素直に思ったことをぶつけていたのかもしれない。とても勉強ができる生真面目な生徒が、自分が正しいと思ったことは正々堂々とぶつけ、これが理解されなければ道理はない、というほどの自信があって主張していたようなふしもある。
 だか福沢は必ずしも優秀な優等生ではないだろう。人物紹介似合った、いくつかのかなり非道な悪ふざけのエピソードは、普通そんなことはしないだろうというレベルの、困ったことを次々とやらかしているのである。また、ずいぶんな酒飲みでもあったそうだが、その酒飲みのせいで暗殺を免れたという話、なんとも複雑な気持ちで読む話であった。
 一人ひとりが学ぼう。政府任せでなく、自分たちで考えよう。権威があろうとそこに問題があれば議論しよう。個人の狭い了見での欲について知り、それを克服しよう。人とよく交わり、意見をぶつけることができるようでありたい。もちろんインターネットのない世界である。福沢は、たいそうな手紙の書き手であったらしい。
 時代のせいもある。時折、いまならまた違うと思われるような、差別的な発言や見下したような言い方も感じられることがある。しかしそれだけで咎めるというのは、フェアではない。むしろ福沢が自分で考えるようにとアドバイスしているのに対して、これだけ情報を豊かにもつ私たちが、なんと自分で考えることを失っていることかと悲しくなってくるほどであった。こんなことするかよ、などと小馬鹿にするような真似はしてはならないと思う。当時これだけの見識をもつということは、普通ではなかったのである。
 一つひとつの論は短く、それが17集まって全体をなしている。当時も少しずつ販売されたらしい。そして、よくぞこれだけの文字だらけの小冊子が、と驚くほどに、非常に売れたのだそうである。確かに読まれたのであろう。となると、この思想が与えた影響は、目に見えない形で多大なものであったと想像せざるをえない。
 それは、ひとつの思想に塗りつぶされるようなことではなかった。一人ひとりがよく学び、よく考えることであった。福沢が願ったことは、それなりにこの国でも大切なものと見なされている。だがそれは、逆にこの国の人々がいとも簡単に、ひとつの流れに沿って流されていくからでもあろう。私もまた、それを憂う。福沢のように楔を打ち込むことはできないだろうが、ささやかな抵抗は止めないでいこうと願う。それが、福沢の望んだことのひとつではないか、とも思うわけである。




Takapan
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