本

『学術書を読む』

ホンとの本

『学術書を読む』
鈴木哲也
京都大学学術出版会
\1500+
2020.10.

 専門外の専門書を読む。テーマはずばりここである。そんな無茶な、という気がするのが現代であろうか。だが本書が、京都大学から出ていると聞くと、なるほどと肯く方もいるのではないだろうか。
 一時、東大ではなく京大から、どうしてノーベル賞が出るのか、と話題になったことがある。明確な解答があるとは思えないが、その中でよく言われたのが、京大では学部の壁を超えて交流がある点であった。全く別の研究者との対話や交わりがあることにより、内部だけでは気づきえなかった発想を得ることができたのではないか、というのだ。リップサービスめいてはいるが、それは強ち嘘とは言えないだろうと私は感じる。雑学とまではいかないが、様々な視点があることで、発想も探究も豊かになることについては賛同できるからだ。
 そのスピリットが、専門外の専門書を読むというこの企画につながっているのではないか、というのが私の見立てである。
 この枠組みを踏まえて本書を読んでいくならば、言おうとしていることがよく伝わってくるような気がするのだ。後は、実例としていろいろなジャンルの良い本が紹介されていくばかりである。ただし、最初の章は丁寧に読んだほうがよい。「わかりやすい」ことがもてはやされるような現今に、その「わかりやすい」ことに釘を刺していると思われる。流動食をそんなに食べたいか、そして読書量が限りなく0に近いという昨今の大学生事情の中で、それでも「わかりやすい」と言われるものに、どれほどの価値があるのか、考えてみるとよいのだ。
 中央の、ジャンル別の具体的な推薦本が面白い。緊張して戴きたくないのだが、プロしか読めないような専門書が紹介されているわけではない。一般書、新書のようなものから優れた本が示されるのだ。
 最後には、再び総括するような叙述に戻るが、セネカの言葉などを引いて、読書の大切さを説き、また知とは何かを問いかける。近年、論文の引用数が競われているがそれがどうしたという勢いである。知を数字で計ろうとして、それでよいのか。現場の知はどうなっていくのか。新型コロナウイルスに襲われた中での事情を踏まえて、専門外の学び・専門外の読書が如何に大切なものであるか考えよう、と促す本書の気骨を買いたい。私もまた、良い時に良い本に出会えた。いろいろ手にとっているからこそ、その真実を証言することができるほどに、共感する。つまり、「人はちょうど良いときに、ちょうど良い本に出逢うものだ」(p125)ということである。
 こうして、私は格安の古書と図書館とを最大限に活用し、とにもかくにも、様々な本の世界と出会い、その世界を旅行するのである。いや、ただ観光しようというだけでもないし、通りすぎてそれでよしとするのでもない。これだけ見物するからこそ、それだけアウトプットもできる喜びを感じている。たとえ学術論文ではなかったとしても。




Takapan
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