『がばいばあちゃん幸せの教え』
島田洋七
ソニー・マガジンズ
\777
2007.12
一番新しい、ばあちゃんについての本ということで、楽しく読ませてもらった。新しいということは、今旬のネタがあるということである。
ソニー・マガジンズの、ヴィレッジブックスのシリーズから、読みやすい新書である。
佐賀の「がばい」は副詞だから、「がばいばあちゃん」と名詞を修飾するのはおかしい、という声があります。そうかもしれませんが、きっとこうした使われ方もありうるのでしょう。私にはよく分かりませんが。
なによりも、そのばあちゃんのキャラクター。そんじょそこらの芸人はかなわない。その精神に鍛えられた島田洋七は、テレビでもすっかり全国の人々を笑わす存在になったのである。
アホでいいから、というふうに、自らをも笑いのまな板に立たせる技は、古来の漫才などのお笑い芸の王道である。だがわざとらしいことがないのは、このばあちゃんにすっかりのせらせていたからであろうか。
ばあちゃんの生き方を際立たせるために、時折世間を批判することが書かれている。それはそれでよいのであるが、ちょっと単純に過ぎるかと思われることもあった。「そうは言っても……」と逃げられることもあろうが、「その考え方を貫いてよいだろうか」と疑問に思うこともあった。
だから、この本は人生の教科書であるとまでは言いたくない。しかし、そのたくましさは何だろう、と考えざるをえなくなる。生きるとは、かくも強いものがあるのだ、と。
生活の上での身近な様子や背景なども語られるので、ファンはぜひ読まずにはおれない新書であろう。だがそれと同時に、困惑している人にエールを送る姿が感じられてならないという気がする。
貧乏とは何かも、身を以て示す。辛いところを通ってきた人にしか言えない味わい深さがある。
だが、今やこの種の本が売れに売れ、映画にもなっている。講演などの仕事も増えているのかもしれない。決して貧乏ではなくなった著者から、貧乏がいいぞなどと語られるのだとすると、そのあたりどうなのかな、と意地悪な疑問も呈してみたい気がする。
何かあったときに、そこから立ち上がる力となる言葉は、よいものだ。ばあちゃんの語録は、著者の人生を立ち上がらせ続けてきた。しかしまた、聖書の言葉は、すべての人を活かす救いの言葉であるというのも、またこうした例から確認することができるような気がしてならない。