本

『すらすら読める 風姿花伝』

ホンとの本

『すらすら読める 風姿花伝』
林望
講談社
\1,600
2003.12

 世阿弥による『風姿花伝』。岩波文庫にもあった。読んだことはない。知っていることといえば、序破急がどうのとか、能の奥義がどうのとか、そういう試験に出る知識がせいぜいのところだった。もちろん、観阿弥世阿弥の親子として記憶していくことになるのだが。
 その『風姿花伝』の、原文を上段に、その訳を下段に置く。なんだ、受験向きか、との先入観は禁物である。これは受験には役立たない。オトナのためのものだ。どうして自国の古典が、受験生のための道具程度としか思われないのか。日本の伝統がどうのとか主張する一派も、えてして古典には無頓着であったりする。
 面白い。能の極意が秘伝として伝えられていく中で、これだけは、との思いから記されていく内容は、もちろん能の世界の話である。だが、それだけであったら、林望さんは、これだけの本に仕立て上げるつもりはなかった。そしてその意図は、私のような者にも伝わってきた。
 そう。これは、何かを人に教えようとする立場の者にとって、必要な知恵の集まりなのである。
 教える――もちろん、教師としてもそうだ。そして、多分に親が子どもに何かを教えるときにも、十分当てはまる。それが何であるのかは、それぞれの方が内容に触れて、お考えになるべきだと思う。ここでダイジェストにすることはできない。
 知らないというのは怖いことで、私はこれを読んで初めて知った。世阿弥というのが後世の呼び名であり、正式には「世阿弥陀仏」、略すときにも「世阿」というのが当時の呼び方であるということを。また、『花伝』がおそらく書の正式な呼び名であるともいう。
 面目ない。その程度の理解なのだ。
 この本にはシリーズがある。画期的な解釈、あるいはどうかすると偏った解釈でなされているものもあるかもしれないが、現代に生きる古典というのは、こういったスタイルがよいのかもしれない、というふうに、ふと感じた。




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