本

『富良野風話・この国のアルバム』

ホンとの本

『富良野風話・この国のアルバム』
倉本聰
理論社
\1,500
2003.5

 恥ずかしいことに、『北の国から』を観たことがない。名場面特集をテレビで流していたことがあったので、それをちらりと見た程度である。『前略おふくろ様』のショーケンはちらりと見たような気がする。映画『駅』も観てはいない。まったく、世間の良いものをきれいに見落としているといった感じである。
 倉本聰は、これらのシナリオを書いており、さまざまな賞を受けている。人の心に感動を与えるドラマを創り出すということは、なんとすばらしいことであろうか、と思う。その倉本聰が、『財界』という地味な雑誌に、2000年から2003年春まで連載していたエッセイを集めたものが、この本。「アルバム」とタイトルに付けた訳は、最後のエッセイに明らかにされているが、それは敢えてここで述べない方がよいだろうと判断する。
 七十歳近い筆者が、北海道の大地から、大地に根ざした生き方と共に、人との交流や言葉の使われ方、そしてメディアのあり方について、「これだけは言いたい」という雰囲気で語っている。しかもそれは品を失うことがなく、おそらく名作ドラマたちと同様に、読む人の心に、うなずく心を自然と与えているものだろうと感じる。
「他人の役に立っているという意識こそが人間の生き甲斐の原点であるように、僕には思えてならないのである。その時、対価、報酬を期待してしまうのは、かなり低次元の恥ずべき心の動きである。」と語るのは、イスラムの「喜捨」に始まるエッセイ。
「我々が食事に向かう時『いただきます』と口にするのは、あれはその食物に向かって言っているのか、食事を作ってくれた人に言っているのか」という問いかけに触れるエッセイ。
「優れた国家とはバランスのとれた四つの車輪によって前進している国家ではないかと僕は考える。前の二輪は権利と義務である。後の二輪は物質と精神である。しかしこの国では義務を忘れて権利が肥大化し、精神を忘れて物質のみが巨大化してしまった。考えてみるといい。あなたの車の右の車輪が大きく左の車輪が小さかったら車はどんな走り方をするか。それが前輪も後輪もそうだったら一体どういうことになるのか。」
 筆者の眼差しは、この国のあり方を憂い、地に足の着いた生き方を提案しているかのようである。テレビを創り、テレビに生きてきた筆者が随所で、だめになっていくテレビ、テレビによってだめになっていく日本に警告を発している。




Takapan
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