『フクシマのあの日・あの時を語る 石ころの叫び』
福島県キリスト教連絡会編
いのちのことば社
\1800+
2013.3.
カタカナで「フクシマ」と書くとき、それは世界に届けとの気持ちが現れていると見るべきだろうか。「ヒロシマ」も「ナガサキ」もそうだった。後者らは原子爆弾に基づくが、前者は東日本大震災というだけでなく、原子力発電所の爆発事故によるものであった。
もちろん、公の資料もある。だが、それはどこかまとめられ、客観的な数字や記録へと変貌することが多い。ここにあるのは、もっと主観的な、生身の人間が五感で体験したことである。
しかも、これはすべて教会関係者である。教会では何がどうなっていたのか。優れてどの教会も、ただの避難者に留まらず、何かしら支援したり、助け合ったりする活動へとつながる。震災と原発事故から2年、記憶が変貌しないうちに、あの時のことを現像しておきたいというような思いから、集められた。
ここにあるのは、一人あたり10頁から、最高50頁ほどの、現場での出来事の報告である。その長い報告は、鈴木牧人牧師。ひとり突出して長い場を必要としたのは、その後半がすべて、あの3月に、教会員に宛てたメールの掲載となっているからだ。毎日ローズンゲンでその日に当てられた聖書の言葉と共に、祈りをこめて様子を窺い、また現状報告と、次の集会の予告などを繰り返している。私が直接知る、ここに並ぶ数少ない執筆者である。というのは、本書発行後、鈴木牧之は福岡の姪浜バプテスト教会に赴任しているためである。2016年の熊本地震の後のボランティア活動に於いて、接触があったのだ。
そして本書の報告の中でも、当時まだ小学生だった鈴木牧師の長男が登場し、宿題をしていたところ揺れに見舞われ、コタツの下に隠れていたことが記されているが、その長男が、後に有名になる。2025年1月、23歳にて『ゲーテはすべてを言った』で第172回芥川賞に輝いた鈴木結生(ゆうい)氏である。
福島での事情をいち早く知らせたのは、恐らくこの中で佐藤健牧師ではなかったかと思う。すでに震災の年にすぐに『流浪の教会』を出している。これは私も読ませて戴いた。また、本書のしばらく後に第2弾の『翼の教会』が出版されているから、逆に本書の原稿がひとつの契機となって、新たな報告がなされているのではないか、とも想像される。教会一帯が立ち入り禁止区域とされたのである。
本書には16名の証言が集められており、あの時のことが回顧されている。揺れのあった最初の時のこと、さらにその後の混乱と安否確認や避難その他それぞれの動きが生々しい。思い出すままに綴られているが、私は、その大まかな動きの他に、細かななにげない一言に注目すべきだと感じた。たとえばいまの佐藤彰牧師の場合、「東日本大震災の前兆とも思われる地震が前日と前々日にもあっ」たとか、保育園では「職員たちが日ごろの訓練に従って」園児を誘導したとか、目を惹く言葉に出会うのである。また、キリスト者としては、「世の見張り人」としての責任の重さを覚えることが記されているが、それを第二次世界大戦の時にキリスト教会がその役割を果たし得なかったことを思い起こしているところがよかった。
如何に風評被害の影響が大きかったか、それを内部でどのように感じられていたか、そうした声も生々しい。特に情報が少なかった点は、複数の人が証言している。普段の備えが役に立たないのは仕方がないにしても、情報が届かない、あるいは信用できないという状況は、確かに深刻である。
他方、「いつも当たり前に歌っていた讃美が、いかに慰めがあり、力があり、人々に勇気を与えるものであるかを改めて教えられ」た、という言葉が、信仰の問題として、重く確かに響いてきた。「光というものがこんなに大切で悲しく、たとえ小さな光でも勇気と力を与えてくれるものであると知らされ」た、という言葉は、本当は被災者でなくとも、知っているべきことなのだ、と強く感じさせられた。
自分が逃げだそうとした弱さをもっていたという告白もあったし、教会員の心配しかしなかった牧師が、家族のことも考えてくれと訴えられた話もあった。必ずしも綺麗事だけが並べられているわけではないところが、本書の良さであると思った。
現実には、ガソリンの不足が多く訴えられていた。車しか移動手段がない中で、ガソリンが入手できないということは、支援するにもされるにも、動くことができないのである。放射能汚染の情報が伝わってきたにしても、避難する手段がない情況がそこにあった。その避難にしても、するべきか留まるべきか、葛藤があり、また配慮もあった。
でも、食料品販売店が、停電のせいもあるのだが、冷蔵庫の品物を叩き売りしているのは助かった、という声もあった。人々が助け合って支え合って身を寄せていた様子が伝わってきた。
こうした本の出版には、関係者の努力も並々ならぬものがあったはずだ。本書は、白黒ながら、心に訴える写真も数々収められている。このときもなお、故郷に帰れず、今後の見通しもつかないという人々がたくさんいたのだ。その人々にとり、実は一番怖いことは、そのような不便や不安ではなく、「忘れ去られること」である、との言葉が「おわりに」にあった。福島の外から本書を手に取る私のような者にとって、この出来事を「忘れる」ことは、そのまま「罪」であるのだ。心して、本書と向き合うべきなのだった。そして、ここからではどう次の一歩を踏み出すのか、それが問われているのであった。

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