本

『ふくおか絵葉書浪漫』

ホンとの本

『ふくおか絵葉書浪漫』
益田啓一郎編
海鳥社
\2415
2004.8

 福岡県以外の方にはあまり興味がないかもしれないが、私たちにとっては、懐かしい、あるいはたまらない郷愁を覚える一冊である。
 アンティーク絵葉書に見る明治・大正・昭和の福岡県風俗史というサブタイトルが付けられており、平原健二、畑中正美という絵葉書コレクションを長くしておられる人のコレクションから、土地やテーマ毎にへまとめて紹介してある本である。
 旧い白黒写真で、古のスポットが目の前に現れる。今の建物と同じ場合もあるが、たいていは異なる。でも、その中で人々がそれを新しがって集まってきていたのだということもよく分かるし、多くの人々の人生を、そこに熱く感じる。
 その時代には普通に見られた光景が、もう完全に過去のものとなる。そうやって、今はすべてが新しく便利になったようでありながら、どうかすると、比較的に不便なこの絵葉書の中の情景のほうが、はるかに喜びがあり、幸福であるかもしれない、という気持ちが襲ってくる。
 花見の風景。今なら車で三十分もかからずに行ける地だが、写真の中のお年寄りは、半日かけて山を超えて来たのかもしれない。そうやってどっかと腰を下ろして桜を見上げる。さぞや美しかったことだろう。それに対して、車でひょいとやってきて、ああ咲いているねと左右に首を振りつつ見渡して、さあ次はあのスーパーへ、などと急ぎ足で去っていく私たちは、果たしてどれほどの豊かさを、桜から受けとったというのだろう。
 その桜を見上げるためだけに、一日を費やした時代。それは、非能率的なもののようで、ほんとうは豊かなものが満ちあふれていたのかもしれない。かといって、その時代のほうが優れているとか車がないほうがよいのだとか言うつもりは私にはない。私たちの心が、貧しくなっていることはないか、という点を見つめたいだけである。
 昔の学校。軍国教育云々はさておき、子どもたちは学ぼうという意志が強く、整然と並んでいる。物はないが、目は輝いている。贔屓目に見過ぎてのことかもしれないが、それでも、今の子どもたちにも、同じ心はちゃんとあるというふうに、私は考えている。大人たちのほうが、それをごまかそうとしていないだろうか。
 今目に見えるものがすべてではない。見えないものを見るのが信仰である。それは、基本的に未来を志向するが、過去もまた、見えないものの一つであるゆえに、私たちは、「見えないもののうち幾らかでも見ようとすれば見えるもの」として、もっと過去を見つめるべきではないか、と改めて思った。




Takapan
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