『不幸な国の幸福論』
加賀乙彦
集英社新書0522C
\720+
2009.12.
大学の法学の授業で薦められた。『宣告』は、私に見える世界を大きく広げた。当然、作家である加賀乙彦さんにも関心は向かった。
その後、私はキリスト教信仰が与えられた。そして加賀乙彦さんも信仰の入口まで来ていることを意識した。さらに後に、カトリックの司祭に、夫妻で徹底的に質問を吐露することで、洗礼を受けるに至った。『宣告』のモデルになった死刑囚の正田昭から、カトリック信仰の影響を受けた、とも話していた。
本書発行時、御年80。この後13年余りの人生を送るが、このときにも十分「老い」を覚えていたらしく、「幸福」という人生究極のテーマで、与えられた思いを精一杯綴ろうとしたように私には見えた。
どうしても、世相や経済状況などについては、2009年当時のことが繁栄される。私が手に取ったのは2026年になってからだったので、16年ほど以前のことをそこに見ることになる。だから、社会問題や教育問題についても、当時の様を思い浮かべながら読ませて戴くこととなる。
四つの章立てを踏まえながら見渡すと、まず「幸福を阻む考え方・生き方」ということで、「考えない」ことが習慣化する恐ろしさというものを指摘する。ここでいう「考える」ということは、誰だって考えているよ、というような意味のことではない。古来言われている、欲望や快楽に流されることに対することとしての「考える」という意味になるであろう。このとき、「他者を意識しすぎる」ことに、不幸のひとつの原理のようなものを指摘しているので、しばらくはそれを踏まえて読み進むこととなる。ということは、ここはやはり日本人のもつ傾向ということになるだろう。つまり、タイトル通りに「不幸な国」として、日本のことが専ら扱われているわけである。
次は「不幸増幅装置」とこの国を喩え、それはどうやってつくられてきたのか、を考える章である。自殺の問題が大きく取り上げられ、戦後の歴史の中の出来事や社会を辿りながら、流されてきたこと、考えて子無かったこと、と言うように、最初に提示したことについて、日本社会の中で戸惑う人々の心を描こうとする。
だが不幸ばかりを煽るのは、著者の目的ではない。「幸福」についてのイメージをも見いだしてゆきたい。それは「しなやかな生」に宿る、という考えである。不幸を幸福に変える心とはどういうことか。「幸不幸は考え方次第」という立場から、ただ期待するのではなくて生み出すことへの思考転換や、挫折すら幸福の要件とする考え方をもちたいと提言する。たんに「幸福を追求する」というよりも、「幸福を生み・担う生き方」がよいのだ、と言うのである。
但し、これは本書全般に言えることだが、そのように見方を転換できる人ばかりではない、ということには気をつけておきたいと思う。ある意味でそのように幸福を生み出す発想を得られた著者には、とても当たり前で、良い方向転換だったのであろうが、いま正に不幸の中にある人や、自分のしていることが適切に認識できないために泥沼の中にいる人にとって、挫折が幸福を生むなどということか気楽に信じられるかというと、基本的に無理であろう。抜け出した人からすれば、確かにそうだった、と思えるのは事実であろうが、気の持ちようで幸せになれるよ、というふうにも聞こえかねない提言の連続が、果たして「不幸な国」の住人に、響いてくれるだろうか。正しいことを言っているには違いないのだが、正しい人の言うことが、人を救うことになるという法則はない。生活に困窮して今日明日の命さえ危ういとか、どうしようもなく他人と向き合うのが怖いとか、そうした情況に、著者が長くいたようには思えない。もちろん、中で告白しているように、子どものときにずいぶんいじめられたという経験があるから、弱い立場の人の気持ちについて感じるところはたくさんあるとは思うが、そのいじめられた経験も、なんとか心理的に乗り切ったというような書き方がなされているのを見ると、それをいまいじめられている当人に話すのは酷であろう
最後に、幸せに生きるために「老い」と「死」をどう見つめるか、という話題が並ぶ。先に挙げたような、自ら「老い」を意識しての叙述であると言えよう。新しいことに挑戦することが積極的に勧められている。「老い」を楽しむためである。そして、本当に死なない者がいた物語にはむしろ不幸が隠れているというようなことを語って、「死」は恵みである、というような視点を提供する。明らかには述べないが、著者の信仰の故の希望のようなものがそこにあるかもしれない。これらにより慰められる人がいたら、それはそれでよいことなのだろう。ただ、これも長きにわたり生きてきた著者の口から出るからなるほどと言えるのであって、「老い」を経ることなしに「死」と直面している人には、なかなか響いてこないような知恵ではないか、とも思う。
そういうわけで、著者と比較的近似的な環境や心境にある人にとっては、本書の提言は朗報となることだろうが、ともすれば反感すら覚えるような読み方をせざるを得ないような人も、少なくない野ではないか、というのが、私の素直な感想である。

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