本

『復興の道なかばで』

ホンとの本

『復興の道なかばで』
中井久夫
みすず書房
\1600+
2011.4.

 先に『災害がほんとうに襲った時』を紹介したが、その続編と考えてよいだろう。阪神淡路大震災から一年間の中で書き綴った原稿などを集めたもの。中井氏は精神医学のリーダーであるが、詳しくは上記の本のほうで紹介しているので、参照戴きたい。
 1995年1月17日未明に神戸を中心として襲った地震は、阪神淡路大震災として知られることになる災害をもたらした。神戸大学の精神科医であった著者は、インフルエンザ明けの体を挺して、現場を見つめる。年齢を重ねていたために指揮を執る形になったが、冷静に情況を分析し、適切な判断をし、また患者に対応する。確かに負傷した人も多い。だが、より問題となるのは、体ではなく心のケアである。精神科医が足りない。九州大学からもやがて応援が駆けつけるが、机上で学んだ精神疾患を、少しも猶予のない立ち現れの連続となる現実を前に、生で確認しながら対応していく。  心のケアが必要だったのは、むしろ救援者であるということをも、このレポートは証言する。医師を、看護師を、どう助けるか。それを提言する、優れた証言となっている。
 あるいは、繰り返されるように、被災地の中心部よりも、むしろ周辺部において、市民の問題は多発すること。時に助け合う住民の姿が報道されもしたが、ひどい被害を受けた場所では、確かに略奪や凶悪犯罪などは殆ど起こっていないらしい。それは少しそこを離れた場所でいろいろ起こっているということを訴えている。
 こうしたことは、後から振り返ると、また少し違う情報となって積み重ねられていくことになる。振り返ると、細かなところで不正確であったり、振り返りのフィルターがかかるのだ。後から分かったことや、後から価値づけられたこと、最初は非難されたことなどを避けながら、当時の思いとは違うものが記録されていってしまうことがしばしばなのだ。だから、たとえうまく整理されていなかったとしても、あるいは感情的なものがそこに混じっていたとしても、生々しいその時にメモされたもの、訴えられた声、こうしたものに意味があることは否定できないのだ。
 地震発生後一年間、毎月のように著者は記録を報道機関や雑誌などに原稿を載せている。そうしたものが順次集められている。当初から貫かれた意見もある。また、その時時での変化もあり、発見や、気づかされたことがある。もちろん、精神科医として、多発する心身症的な状態に、医学的知識から対処していくが、災害心理という面から学んでいくこともある。そうしたありさまが、細かく記されている貴重な記録である、などと言うと、亡くなった方々に失礼だろうか。
 前著からもあったが、名古屋からの支援が多かったというのは、伊勢湾台風での被害を経験した人たちからの共感であっただろうと推測している。痛みを分かる人が、その痛みを味わっている人になんとかしたいと思う。もちろん、実際に被災経験がなかったとしても、私たちにはそうした思いやりの心はあってよいし、あるだろうと信じる。それでも、本当に体験した人の重みは、傍らにいる者には届かないものがある。せめて、想像力をもちたい。また、こうしたレポートから、知識を得たい。
 災害において、つまり非常時において、情報は必ず後から遅れてくる。従って、それに対応していくためには、想像力が補わなければならない。そのために、もし過剰な対応をしてしまったとしても、そこに責任を負わせるような非難をしてはならないと著者は言う。その後新型コロナウイルス感染症に人類は苦しむことになる。そのときにも、過剰な対応は後から見れば不必要だったのではないかという非難が聞こえてきそうである。しかし、私たちは震災の記録からも、非常時という共通項を握りながら、精神医学の大切さ、ひとの心の弱さと逞しさとを、弁えていきたいものだと強く思わされた。
 本書が改めて世に問われたのは、出版年からも分かるように、東日本大震災によってである。火と水とでは被害状況も違う。しかし、同じ悲しみを知る者として、つながることはできるはずだと考えられる。そのつながる鎖に、私たちも引っかかることができるのではないだろうか、と願いたいものである。




Takapan
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