本

『イエスの復活の意味』

ホンとの本

『イエスの復活の意味』
マルクセン;ヴィルケンス;ガイヤー;デリンク
村上伸訳
新教出版社
\1800+
2005.2.

 実はこれは復刊であり、かつては1974念7月に初版が発行されたものである。30年を経て復刊というからには、それだけの意味があったということになる。
 20世紀、キリスト教神学の世界は大きな揺れに襲われた。自由主義神学の登場とその支配は、聖書の理解と解釈の歴史を大きく変えてしまった。事実、聖書についての歴史的あるいは科学的な研究の路線は、従来の信仰だけの理解とは違うものを予感させてはいたが、文献学的にも、またその後の文献の発見なども伴い、タブーを取り払ったら、いくらでも聖書の解釈が増えていき、たくさんの考え方が競われるようになった。
 ここにあるのは、ある論文集の訳である。ドイツで組まれたものだが、1960年代、説教の危機が叫ばれたのだという。とくに、イエスの死と復活という、キリスト教の中核的な事柄について、説教で語る力がなくなっていくことが懸念されていたのだという。それまでのいくつかの大きな神学の波が一段落したころである。そこで、ここに集められたのは、聖書研究として優れているかどうか、というよりも、教会で説教するにあたり復活は何を意味するのか、どう迫るのか、どう語られるべきなのか、といった問題意識の中で、考えられたことのようである。それは、何かしら言い切ったものとして、論説の結論をぶつけてきているものとは言い難いであろう。しかし、そういうものこそまた、必要なのかもしれない。説教は、世界中で主日ごとに無数に語られている。その一つひとつの中に、イエスが復活しているのでなければならない。そのためには、語る者それぞれが、イエスに生かされていなければならないし、そもそもイエスと共に死に、イエスと共に生きているのでなければならない。そのためには、復活をどう捉えるか、確信するか、それが曖昧であってはならないはずである。
 訳者によると、殆ど邦訳されていない研究者ばかりの論文であるらしい。となると益々、日本人ができるだけ多くの情報に触れ、各地で営まれている真摯な問いかけや研究に触れるよい機会となったと言えるだろう。信教セミナーブックスは、このようなシリーズとして、「イエスの死の意味」「イエスの十字架の意味」を揃えている。半世紀を経て、さすがに古くなったものもあるだろう。当時は如何に最新でも、半世紀は長い。また、その語新たな視点や議論が起こってきて、そちらをこそむしろ知らないと今の学会には役立たない、とも言える。しかし、読者は、最先端の神学を操る学者ばかりではない。学者の思索と入念な調査を尊重しようとする態度で向き合うキリスト者の読者であれば、どれも読みこなすだけの価値があり、意味がある。殊に、こうした論文であれば、注釈が充実している。注釈欄から、また新たな文献や指摘を知ることができると、如何様にも世界は拡がっていく。復刊であろうが半世紀前だろうが、学ぶ姿勢には遅いということもない。
 そしてまた、これを通じて読者である私が、イエスの復活とどう向き合うか、どう信じるかという問いを投げかけられ、改めて自分で問い直すことで、いよいよ自分の確信を増すようでありたい、とも願うものである。




Takapan
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