『不安の夜』
アルブレヒト・ゲース
佐野利勝・岩橋保訳
みすず書房
\480
1966.10.
まだ著者検印があったころの本を手にした。もちろん消費税などない。紙質は流石にヤケていて古びた感じがするが、全体的に美本である。
アルブレヒト・ゲースは、詩人という肩書きをもつが、南ドイツの牧師の家に生まれた。神学者や哲学者などを出した家系であるらしく、彼自身も宗教的な人物としても注目されていたらしい。
ドイツの従軍牧師として、第二次世界大戦を経験し、本書のメインとなる「不安の夜」にも、そのときのことが描かれている。史実をそのまま綴ったのではなく、ひとつの文学作品として成立している。
小説であるため、筋道を明らかにはしないでおく。
どうやら訳は他にもあったらしいが、みすず書房の本を私が手にすることは、最近はなくなった。哲学書ではしばしばお世話になったが、私の知るさらに昔のタイプの本が届けられた。
いまとなってはゲースについてもあまり資料が見当たらず、訳者の「あとがき」を頼りに、少しだけでもご紹介できれば、と思っている。
大戦前から大戦後まで、牧師を務めていたが、大戦中は、戦時病院や軍の刑務所所属の牧師として、東部戦線に従軍している。1953年に牧師を隠退した後、著述業を営んでいた。
多くの著名人とも交流があり、本書の中の「銀の匙」では、「師と父」とに並び、「友人なるマルティン・ブーバーに捧ぐ」と記されている。その人となりは、各方面から好ましく触れられているという。
表題の「不安の夜」と、いま挙げた「銀の匙」は、従軍牧師の体験か綴られていると言えるが、それぞれ別個の文学作品である。しかし、どこまでがフィクションでどこまでが史実であるのか、それは私たちには分かる由もない。
出来事に、とくに怒りをぶつけているなどということはなく、淡々と事情を描いているが、それだけよけいに、戦争の「非人間性」が浮き彫りにされる。でも、それを訴えたい、というような勢いを表に出すことはなく、あくまでも読者一人ひとりが受け止めて考えればよいことである。
正義を叫ぶのではない。そこには死んでゆく者が描かれる。だが、昂揚した感情によってそれを捉えるのではなく、あくまでも淡々と起きていった現実がそこにあるように、目の前に置かれる。そう。現実は、音楽で盛り上がるシーンがあるわけではないし、劇的な演出やアクションがあるわけではないのだ。特別に時間がゆっくり流れることもないし、誰かのほとばしる感情が事態を変えることもない。あっけなく、いとも簡単に、人が死ぬ。一様に流れる時間の中で、誰かにとっての正当な手続きの下で、殺されもする。傾いてゆくシーソーが、急に逆転するようなこともない。
しかし、それを目撃したであろう作者は、もしかすると自分の罪の告白であるかのように、あるいはまた、人間の愚かな仕業を証拠立てるように、それとも、死者への祈りや餞でも渡すかのように、文字に置いて、読者に時間の中でそれと出会わせようとする。
1950年から1965年にかけて書かれた三つの作品が、ここにまとめられている。もうひとつは「焔のいけにえ」である。これは、ある女性の話を、図書館の助手たる私が聞いているという設定で始まる物語である。別の作品でもそうだが、「ユダヤ人」という立場をどのように見るか、それはドイツ国民には本当は避けることができない問題であるのだろうと思う。いけにえよりも、神は悔いた心に目を留める。旧約のみならず、新約でも受け継がれたこの神観が、何かしら具体的な人間像としてここに成り立ったという具合である。
本書との出会いは、どこでだか、加藤常昭先生が言及していてことを契機とする。読書量が膨大な先生は、気軽に、よい本の話題をばら撒いてくれるが、そのどれもがまた興味の湧くような触れ方なので、私は困っている。再現がないからだ。でも、感謝している。そこに出会いが起こるからだ。

た
か
ぱ
ん
ワ
イ
ド