本

『食べものはみんな生きていた』

ホンとの本

『食べものはみんな生きていた』
山下惣一
講談社
\1575
2004.6

 毎日小学生新聞に連載されているものを、ふりがなもそのままに再現した本である。さらに、大人にも読み応えのあるものになるように、編集し直してある。
 最近見た中では、最もハートフルな本ではなかったかと思う。
 自らを「じいちゃん」と呼び、小学生の孫の例を挙げながら、農業の話題を楽しく上手に紹介していく。食べ物という基本を、これほど豊かな心で教えてくれる本も珍しい。  どうやら福岡県で農業関係のまとめ役をなさっている方のようで、文筆家としても実に質の良い上品な、それでいて主張のしっかりした文章を提供してくださる。
 私は、56ページからの「麦ふみ」に特別に感動した。福岡県は小麦の生産では北海道に次ぐところだが、隣の佐賀平野でも穫れ、そこで麦ふみが行われていたという。麦ふみは何の目的でするのか。三択クイズが挙げられ、正解が告げられる。その訳を説明するために、次のような段落があるのだ。
《「一粒の麦」の話は知っているだろうか。じいちゃんもむかし、そんな題名の小説を読んだ記憶があるけど、もうわすれてしまった。だから、うろ覚えだけれど、「一粒の麦死なずば唯ひとつにてあらん、もし死なば多くの実を結ぶべし」だったような気がする。聖書の言葉だそうで、現代語訳では「一粒の麦がそのままなら、一粒にすぎないが、地上に落ちて死ねば多くの実を結び」つまり、ひとりの犠牲によって多くの人々が救われ、永遠の命をたもつことができるという、人生訓としてつかわれているみたいだ。》
 クリスチャンではないようだが、それでもこれだけよい説明をしてくれるのはありがたい。この項目の終わりのほうでは、「麦はふまれてつよくなる」という言葉を取りあげて、自分を鍛えてつよくする努力をしなくなった今の日本を憂えている。
 愛情に満ちた眼差しは、当然手厳しいことも告げなければならない。
《自由貿易をどんどんすすめていけば、飢餓はなくなるというのはウソだ。農産物の貿易は、あまっているところから不足しているところへ、ではなく、値段の安いところから高いところへしか行かない。だから、日本みたいな飽食の国がある一方で、飢餓の国があるわけだ。》(255-256頁)
《人間の体は、不足にそなえてできているため、過剰には耐えられない》(257頁)
 私たちは、こうした訓戒を聞く耳をもたなくなってきているし、語るほうも訓戒を言っても無駄だと口をつぐんでしまっている。こうした空気は、人や国を破滅の道へ導く輩にとって絶好の環境となる。
 ぜひおとなの方も、いやおとなの方こそ、この本をお読み戴きたいと願う。
 最後に著者は、「自分をまもる方法」として、こっそり伝えるという言葉で結んでいる。
《それは信じないことだ。人のいうことを鵜呑みにしないこと。すべてのことにたいして、「そうかなあ」と反応しよう。つぎに「ほんとうかなあ」と首をひねって、自分の頭で考えよう。そして、納得できることだけを自分のものとし、それを判断の指針として生きていく。人が人として自立して生きるとは、そういうことだ。》(259頁)




Takapan
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