本

『フォークソングの東京 聖地巡礼』

ホンとの本

『フォークソングの東京 聖地巡礼』
金澤信幸
講談社
\1500+
2018.3.

 60年代後半からのフォークソングブーム。そのフォークソングとは何か、といった原理論ではなく、筆者が具体的にどのように関わりをもち、見聞きしてきたか、その現象面を追究したような一冊。分析や資料というより、マニアックな経緯の解説のようになっている。
 フォークソングと一概に言うと守備範囲が広くなる。そこで東京という地にターゲットを絞った。他の地域の出来事が混じらないと言えば嘘になるが、一定の土地にまつわるエピソードというあり方を規定すれば、自ずから書かれる内容が限られてくる。そうして、話が無限に拡がらないようにしたのであるし、またテーマのようなものも決まったと言えるだろう。
 やはり岡林信康から入る。牧師の息子として、教会のあり方に絶望してフォークソングへ走ったという背景が改めて知らされる。こうなると、その教会の「?」とも見なされうる対応と岡林信康のある意味で純な信仰の思いとが、フォークソングブームを生み出したと言っても過言ではなくなってくる。いったい、フォークとは何か。そのあたりの問いかけも含めながら、その後の音楽性の展開が、時代の中で描かれていく。
 ヤマはのポプコンで赤い鳥に負けたオフコースは有名だが、その時の伝説的な大会についても詳しく語る。そして、はっぴいえんどが登場する。筆者は、はっぴいえんどを高く買っている。あらゆる面から、はっぴいえんどについてのことを熱く語る。当時から、アルバムの評価が優れていたことはうっすらと記憶しているが、その後のメンバーそれぞれの歩みを思うと、なるほどと思わされる。このはっぴいえんどについては、この本で最後まで通奏低音のように流れていき、日本の音楽シーンを、東京に関する本書の趣旨からしても大きく扱われてよいであろう。だからまた、はっぴいえんどの伝説についてもよく調べて語ろうとしている。今回調査して分かったことが後から追加されていき、一ファンとしてコミットしてきた色合いを強く出していく。
 こうして、忌野清志郎から高田渡、吉田拓郎、かぐや姫というように、メジャーあるいは心に深く残る人たちが現れてくることになる。東京の土地という縛りはあるものの、だからこそ、縛られるのは土地だけで、描かれ方は多様になりうるとも言える。その時代を共有し、そしていくらか事情通であればなおさら、ここに記されている事件や事実の数々に、肯いたり驚いたりすることだろう。すべて筆者が体験したようなこと、たとえそうでなくても、同じ空気を吸っていたという立場で綴られている。あらゆることを平たく一様に語ろうとして、どこかちょっと調べただけのものを交えつつ、一部だけを体験的に詳しく書く、というのとは訳が違うのである。
 当時の雑誌にはこのように書かれてある、というのも実に忠実に原文を再現しているし、それと実際との齟齬があるようなことも指摘されており、またその歌手自身の本の証言との違いなどまで踏み込んだ、ほんとうにマニアックな視点が多々用意されている。だから、楽しい。だから、読者は自ら知らない情報を目の前に置かれて、よりずるずるとこの世界の中へ引き込まれていくことになるのである。
 フォークソングということで、さだまさしならまだいいかもしれないが、ユーミンはどうなのか。森田童子も突然一章を割かれるあたりも、その後のブームも踏まえ、また本人の秘密にされているあたりの様子もきっちり書かれていて、タイトルの「フォークソング」だけで収まれない中で、本書は「ニューミュージックの死」という形で幕を閉じることになる。いつの間にか、フォークソングはニューミュージックとなっていたのである。
 ついでながら、巻末の年表は面白い。本書に記されてきたことが網羅されているばかりでなく、フォークソングを振り返るときにも、確かな足跡として知ることになるだろう。
 東京に限定したために書かれなかったアーチストもある。また、筆者が足繁く通ったコンサートやライブハウスと関わりのないアーチストも叙述からは外れてくる。その意味では、また別の聖地と共に、別の歴史も刻まれるようになるとよいが、と思った。




Takapan
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