本

『五つのパン』

ホンとの本

『五つのパン』
チャペック
小野裕康訳・ヨシタケシンスケ絵
理論社
\1300+
2019.8.

 ショートセレクションのシリーズが図書館に入り、行く度に借りるのを楽しみにしている。表紙にヨシタケシンスケの、失礼な言い方だがとぼけたような絵が目立ち、思わず手に取ってしまう。扉絵などもそうで、それぞれの物語をよく読み込んで、一枚のイラストでよい紹介をしていることに、いつもながら感心する。
 チャペックといえば、「ロボット」を生み出した人として有名である。哲学を学んでいることもあり、深く縦横な視点で、社会や文化を見つめており、批判もする。そのチャペックのもたらした短編が、ここに12編集められている。200頁ほどの本であるから、ひとつが平均15頁に満たないほどである。ますます気軽に読みやすいものとなっている。「訳者あとがき」で、より読みやすくするために、訳としては多少の言い換えや語の補充を行っている、と断っている。ふりがなも十分で、子どもにも親しめるようになっている。
 空を飛べるようになった男の話や、やたらサボテンを盗もうとする人間がいる話、風邪の症状に苛まれてむかついている人を描くものや、自分の書いた小説が、どこかで読んだ何かの本の盗作に違いないと悩む作家が奇妙な老囚人に出会う話もある。どれも、着想が豊かで、ありきたりの感じを与えない、まさに小説の面白さを堪能させる設定だと思う。読んでいて楽しい、というのは、こういうことなのだろう。
 チェコという環境の中でこそ考えさせられることもあるのだろうが、えてして、聖書の思想を背景に、人間の悪なる部分を探るような物語に、私は親しみをもつ。「たとえばわれわれは、それはもう悪意のかたまりである」「……われわれの考えというのは善より悪に傾いている……」(私たちの悪さ)など、このあとイエス・キリストを連れてくると、そのまま礼拝説教に相応しいような作品となっているように見える。「時代の没落」は、時代を石器時代において、現代文明へのアイロニーを提供しているのだと思うが、こうしたものも、人間臭い考えが何をもたらすのかを、自身の問題として突きつけてくるように感じる。
 ただし表題の「五つのパン」は、聖書を一見茶化しているように見えるかもしれない。ネタバレをするので恐縮だが、この「五つのパン」というのは、イエスが起こした奇蹟のひとつである。五つのパンを、数千人の人々に分配した、というものである。この事件に対して、パン屋が猛然と抗議する。これでは商売あがったりだ、あいつはパン屋の敵だ、と。しかし、病気の癒しについては、ありがたいものだと認めているし、なによりイエスの説教については、心に染み入るものだと感動している。だが、あんなことをされては、パン屋の経済が成り立たない。世界の救済をしているのかもしれないが、パン屋には災難そのものである。だからここに姿を表したら「十字架にかけろ!」と叫んでやる、と息巻く。
 これをどう読むか、は読者に委ねられているだろうが、このパン屋も、営業妨害あるいは商業法違反という点のほかは、至ってその教えに感服している点には、注目しなければならないだろうと思う。となれば、この商業法ということの方に、何か問題があるという可能性がないだろうか。人間が定めている法や常識というものが、あるいは社会制度というものが、人間をどう縛っているのか、どう仕向けていこうとしているのか、問い直す必要があるのではないのか、などと私は穿って考えてみたいのである。
 雪の上につけられたただひとつの足跡を見て、出会った二人があれこれと推理する「足跡」が、本書の最後を飾る。ここにも、聖書の奇蹟について読者に考えさせるものが確実にある。ひとは突然、何かの事実を見るだろう。それは何かの偉大な事件ではなかったかもしれない。だから人生がどう変わった、などというものではないかもしれない。だが、それが実は人生でいちばん大事なことだった、ということが、ありうるのだ。その出来事の先に何があるのか、それはどうかすると恐ろしく待ち受けることになるかもしれないが、その先にあるものを諦めずに求め続けることも、また可能であるのだ。神の与えた救いのプログラムでなくてよい。それは機械がもたらす文明でもありえよう。ただ、機械と人間の関係よりも先に、そしてまた上に、人間と人間との関係が大切であるものとして捉えなければならないはずであろう。人間こそが、最悪の支配者にもなりうるのだから。「機械が支配する」と重ね合わせると、このようにも読んでみたい、と私は思った。




Takapan
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