本

『ファイト新聞』

ホンとの本

『ファイト新聞』
ファイト新聞社
河出書房新社
\1300
2011.7.

 2011年3月11日。この日を私たちは忘れることがないだろう。
 その一週間後、気仙沼の避難所で、子どもたちが壁新聞作りを始めた。マスコミでもよく取り上げられた。子どもたちの視線が素直にそこに表された壁新聞は、人々を確かに励まし続けた。
 子どもたちにしても、書き表すということで、自分の中のもやもやとしたもの、不安な思いなどが、塗り替えられていったのではないかとも思われる。もちろん、これを見る大人の人々、子どもたちもまた、そうなっていったのだろうと思われる。
 他愛もないと言えば他愛もない。ちょっとした発見、小さな出来事への大きな喜び、時に記者自身の誕生日だよというアピール、それらが、書き殴ったと思われても仕方がないほどに、素朴な子どもの表現でそこにもたらされている。
 通常の新聞のように、毎日発行し続けている。毎日、取材あり、出来事の記録ありで、賑やかである。
 ただ、これは普通の新聞とは大きく違うところがある。批判めいたことや、愚痴などは書かないのだ。とにかく明るく、希望に向かう眼差しの中で、それでもなお、冷静に事態を見つめて記録している。また、思いを描いている。だから、これを読む人も、頑張ろうという気持ちになったかもしれない。立ち上がり続けたのかもしれない。
 もとより、当事者でない者が、いくら想像しても分からない。分かったようなふりをするのはよくないし、控えたい。だが、この子どもたちが果たした役割は、決して小さくはない、と見てよいのではないだろうか。食べるものから寝るところ、服やとにかく生活の隅々にまで、不便と苦難とがつきまとう中で、剣より強いとされるペンが、パンにもまさる力を与えたのではないかと信じたい。子どもたちは、毎日、書く。毎日、メッセージを送り続ける。身近なニュースを書くだけのような中で、確かに人々に、力を、笑顔を与えることができたのではないだろうか。
 ネットのサイトやブログなども、こんな力を与えることができる、そういう潜在能力を含み持つはずである。だが、依然として、他人の揚げ足をとり、他人を批判し、そのことにより自分が正しいと鼻を高くしたい思いに満たされているとしたら、どうだろう。私自身、自分がとても嫌な奴に見えてくる。
 新聞名のファイトという言葉は、四年生の編集長の心意気だ。自分の名を新聞名にすることを止めて、ファイト新聞にしたというから、すでにこの時点で、自分の仕事の役割を十分自覚し、そしてその運動はある意味で完成していたのかもしれない。
 編集者は、当初の4人から、12人へと増えていったという。そのプロフィールが本の終わりのところで紹介されている。編集長など何人かが、「自衛官」の名を挙げているのが目立つ。それだけ当地でたくましく働き、力になっていたのだろうと思われる。子どもたちのこの夢は、たんに「自衛官」という職や立場に就きたいというだけの意味ではないもののように私には思われる。人を助ける仕事。助けられた人が本当に良かったと思い、また感謝の心を抱くであろうような、命を守る助け手、それを表しているのではないだろうかと思うのだ。
 まさに現場が、そういう場であったものだろうと推測する。生きるか死ぬかのような場面を越えてきて、また生きるか死ぬかというような生活を送っている人々。そこに置かれた子どもたちの、ナイスなプレイであったと思う。しかも、偉ぶったりもしないし、ただ自分にできる何かをそこにぶつけていた。
 大人は、果たして何ができるだろうか。何かができるように、前へ出て行く必要があるのではないかと思われる。自信過剰は困るけれども、確信を胸に立ち上がり、歩み始め、歩き続けなければならないのではないか、と思うのである。




Takapan
ホンとの本にもどります たかぱんワイドのトップページにもどります