本

『女のキリスト教史』

ホンとの本

『女のキリスト教史』
竹下節子
ちくま新書1459
\860+
2019.12.

 キリスト教、とくにカトリック関係での執筆が近年多い著者。今回はズバリ女性の問題。えてしてこのタイプの話題は、強いフェミニズムを基として書かれ、過激な主張がなされることがあるが、本書はそうではない。ひたすら聖書とキリスト教の歴史の中に、女性がどう扱われているかを追いかけてゆく。鋭い切れ味を見せる文章であるが、テーマの扱い方はかなり安心できる。
 サブタイトルが「もう一つのフェミニズム」の系譜、と書かれている。これは少し謎めいている。「女性」が人間の中でも男性の所有物として考えられてきた長い歴史をたどり、差別されていたのであるが、その男を対立物として捉えるのがフェミニズムだとすれば、本書が立つ視座は、人類学や人文科学の場であるという。フランスで1980年代に作られた「フェミノロジー」という考え方である。著者はフランスを活動基盤とするので、そのフランスでの見方、考え方を大いに強調する。フランス語では人を表すhommeに、英語のmanのような男性性が見られないことから、また少し違う見解の中で育まれてきたのだという。但し、それでもフランス革命の「人権宣言」は、その中世的な語が用いられていたにせよ、やはり冬至は女性がそこから除外されて捉えられていたというから、単純に言語で片付けるわけにもゆかないようだ。
 聖書ではイヴ(エバ)が最初に登場する女性ということになる。ここには男と女に関する、創世物語の原点がある。その思想が、ヨーロッパ世界を長く形成してきたので、ちゃんと検討しておく。その他旧約聖書には、目立って活躍する女性たちがいる。ルツやエステル、またユディト(続編)などであり、ヨブの妻もここで駆り出される。そこからいきなりイエスである。もちろん、イエスの母マリアにまつわることは重要であるが、それよりもイエスの活動や教え自体が、女性に囲まれ即しているという指摘がここでは大きい。イエスの運動は、当時の男社会の観念から飛び出しているというのだ。
 この前提を踏まえて、改めて聖母マリアが詳しく扱われる。そのとき、以前著者がテーマにしていた、ヨセフの問題も簡単にまとめられる。ヨセフもまたカトリックにおいては聖人なのであるが、その沈黙の行動が注目されるようなのである。当時の難民であったヨセフ一家、つまりイエスの出生にまつわる記事に描かれた聖家族の中で、マリアはカトリックにおいて非常に強く崇拝されるようになる。それを聖書的でないなどと一蹴するプロテスタントがいたとしたら、大切な問題を見失うことになる。実際キリスト教は女性をどのように扱っていたか、まだまだ見るべきところがある。
 それはまずは新約聖書の女性たちであり、そこで大きな意味をもつマグダラのマリア、そして現代の聖女マザー・テレサである。聖女がさかんに挙げられるのは何故なのか。キリスト教は一方では、確かに女性を重く扱っているのである。
 聖書の外からくれば、フランスにおいて、マリアと並び称されるほどの大きな存在としての、ジャンヌ・ダルクが問われなければならない。改めてジャンヌ・ダルクとはどういう人であったのかが説明され、ジャンヌ自身は異端扱いされ殺されるのであるが、その背景にあったのが、魔女の問題である。しかしそれは、聖女と魔女との関係をも考察される。つまり、次第に魔女裁判が消えていき、魔女が話題にされなくなっていくのだが、そのとき、同時に聖女という見方も薄らいでいくというのである。そしてそれはまた、詐欺やカルト宗教を呼び起こすこととなり、いまもその流れの中にある、と著者は告げている。
 他方、女子修道院の中には、男性のいない社会の可能性が脈々と流れており、フォントヴロー修道院を舞台に、そこで女性の力が養われていったと受け止めうることが起こっていた点を紹介する。これは多分にもっと注目されてよいことなのではないか、と考えられる。
 しかし現代、できれば神なしであらゆることを説明したいという立場が主流になってきている。けれども、イエスに始まるキリスト教社会、つまり神のもとにある民という自覚のある社会を離れたところで、神を想定することなしに人間が中心なのだとしてしまうとき、実は個人と個人とを分断してしまうようになった、という危機感を著者は募らせる。不変宗教も終焉となり、神も意識から去らせるようになってからは、暴力衝動を抑制できなくなる危険性があるというのである。そして、それは差別を助長していくことになるのだ、とも。
 私たちは超越者と出会う場が必要である。自分を神にしてはいけない。また、それがなければ自由の本質が危ぶまれるのだ、とも著者は最後にまとめる。私と他者とが対等に出会える場所が超越者のもとなのであり、それなく出会うとき、差別が生まれることは必定なのである、と。
 非常に高い意識のもとに綴られた本書は、新書形式であるが、何か魂を揺さぶるようなものが潜んでいるように見受けられる。男女差別だけのことを言おうとしているのではない、極めてヒューマニズム的なものを考えさせ、そして神の存在の重要さを示してくれるような気がする。読み応えのある、そして挟んだ附箋をまた活用したいと強く思う一冊であった。




Takapan
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