本

『ファスト教養』

ホンとの本

『ファスト教養』
レジー
集英社新書1133B
\960+
2022.9.7

 サブタイトルとして「10分で答えが欲しい人たち」とあり、たとえば近ごろ問題視されている「ファスト映画」というものに連想が向かうが、もちろんそれは一つの現象であり、「教養」という鍵がここには提示されている。
 著者はブロガーだといい、オピニオンをいろいろ発しているらしい。ビジネス畑の人であるようだ。著者が何を言っているかということを紹介することが目的ではないので、自由に個人的な印象を綴らせて戴こうかと思う。
 それにしても、不愉快な思いを禁じ得ない内容ではあった。世の中の人は、こんなことばかり考え、発言しているのか、という驚きである。否、それは私が要するに「ずれている」のであって、世の中は「普通」こんなものなのだ、という景色を見せられたのかもしれない。
 経済を悪く言うつもりはない。それがあってこそ、自分もまた生活できている。今日もなんとか食べるものがあり、寝るところがあって、着るものがある。ただ、それが至上の目的であるかどうかは、また別物である。
 小中学生に読ませる国語の素材は、「エコノミック・アニマル」から遠ざけるようなものが目白押しである。金にこだわらず真実を貫くとか、欲張ることはよくないとか、そんな話でもちきりである。それは、案外将来現実はそうではないのだ、と思い知ることになるのだから、教育という現場では建前をしっかり教えておくのだ、という意味なのかもしれない。大人になると違うけどね、というメッセージがこめられているのだろうか、と思うこともある。
 人間は金で量られる。そういう原理に乗っかってしまうならば、要するにいくら稼ぐか、が人生の最優先課題となる。そのためには、コツコツ働くなどということをするのが、愚かな人間であるように見えてくるかもしれない。いかに成功するか、ひとを出し抜くか。そのためにはどのように「うまく」やればよいのか。それは、学校で習ったことからは得られない。
 そこで、ビジネス啓発書が売れる。そこに光を見出す。しょせん、成功した一部の人が体験談を語るようなものであり、それは結果から言えることだけであって、それを真似した者が同様に成功するというわけではないのであるが、なんとか楽して成功したいという思いに駆られた者たちが、その啓発書に没頭する。そんな図式が、もはや当たり前のように拡がっている。
 しかし、そのようなノウハウで片付かないことについては、もうバレてしまっている。必要なものは何か。成功した彼らは何が違うのか。そこに「教養」というキーワードをもちかけるのが、ここでの旗振りとなっているように見える。しかも、時間をかけてじっくりそれを求めている暇はない。ビジネスは時間との勝負でもある。先んじた者が勝つ。
 手っ取り早く教養を手に入れることはできないのか。
 誰もが考えるだろう。誰もが成功したい。だったら、それらしいオピニオンに、さっと流れていく。影響を与えるリーダーたるものは、世の中に刺激を与えるけれども、聖書の基準からすれば、とんでもない悪態を垂れていることが時に見られる。しかし本書は、そういうのがかなり好きなような空気を助長している。そこが、私の中に嫌悪感を起こした理由であると思われる。
 たとえば、失敗した人々の結果は「自己責任」である、という要素が背景に強く見出される。それは、成功者自身には責任がない、という前提に立っている。そうだろうか。成功者が、その人たちを失敗させた責任があるかもしれない、という顧慮は僅かもない。そのような「成功者」は、いずれ後戻りのできない「自己責任」を負うことになるかもしれない、などと言えば、負け犬の遠吠えに過ぎないと嘲笑われるだけなのだろうか。
 恐らく、教養などというものは、概ね世の中にはない。自己義認のために用いられているものが教養だというのなら、それはないほうがよい。旧い思索を皆が求めるべきだ、などと言うつもりはないが、本書の提言の中には「こころ」というものが感じられない。それはそもそも、そうしたものが否定された世界の出来事で押し通そうとしている論理であるからではないか、とまで勘ぐってしまう。それが教養だ、とするのであれば、世の中は原理的に、間違っているとまで言わねばならない、と私は感じている。




Takapan
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