本

『フェイクニュースを科学する』

ホンとの本

『フェイクニュースを科学する』
笹原和俊
化学同人
\1500+
2018.12.

 後半で「情報の豊かさは注意の貧困を生みだす」という言葉が引用されているが、本書の懸念する点はほぼここに集約されると思われる。
 2016年のアメリカの大統領選挙を契機に、フェイクニュースという言葉が世界を飛び交った。選挙に影響し、世界史を変えたことになるとすれば、これは単なるいたずらやウケ狙いとは違ってくる。人類の運命を左右するものが、つい出来心でということにもなりかねないし、また情報操作という意図的な営みによってというのも胡散臭い。かつてヒトラーがナチにおいて、宣伝効果を最大限に利用したという話もあったが、現在のネット情報はそれどころではない拡がり方と急速な影響力をもつものといえる。あっという間に核兵器のボタンまで手が届くかもしれないし、大衆の怒号がひとつになることも予想されるのだ。
 しかも、一人ひとりが情報を容易に発信できるようになったために、ますます情報自体の信用度が怪しくなってくることになる。無資格で診療が行われているみたいに、無責任な情報発信がなされ続け、それを信頼した人が巻き込まれて大きな渦になっていくのである。
 このシステムを解析するという人が必要になってくる。本書は、気分や印象で綴られたものではない。デマが拡散する仕組みはどうなのか。これをタイトルどおり「科学する」というままに、根拠ある探り方をしているという具合なのである。
 サブタイトルに「拡散するデマ、陰謀論、プロパガンダのしくみ」と記されている。まさにそうだ。社会的に影響を与えうるものとして、これらはまことに危惧されるものである。それをフェイクニュースという概念に絞り、考察していく。しかしながら、フェイクニュースという言葉自体、簡単には定義できないことである、その辺りから始まる。虚偽情報の種類・動機・拡散様式の3つが、さしあたりフェイクニュースの三要素であるとしてスタートするのである。10〜20頁の各章末には、コラムが用意され、その章で触れたことや関連事項を詳しく、しかし簡潔に説明する。この小休止が実に効果的で、本書の著者の配慮と、その思考のまとまりをよく伝えていると思う。
 私たちは、実はいろいろ見てから判断しているのではなく、見たいものだけを見ている、という事実をやがて突きつける。確かに街を車で運転していても、洋服店や食べ物の店を目印にせず走っている私と、それらを細かく覚えている妻との違いを思うと、私たちは自分の関心のあるものしか実は見ていないということは実感できる。これが情報となると厄介である。いくら良いことが書いてあっても、関心がなければ見て考えはしないものである。バイアスがかかるのである。こうして、一つの意見が世間に知られると、皆がそれに一気に傾いていく。これが恐ろしい事態を招く可能性が、当然あるわけである。
 この心理的事実を確かめる実験や手法などの紹介も含め、ネットの中の状態を著者は繙いていく。そして「注意力」というものが必要であることに向かって進むのである。それを見抜くことは決して簡単ではない。だから、意識して捉えなければならない。これはいまや、リテラシーという言葉で、子どもたちの間へも伝わっている。そう、子どもたちがいかに元来のリテラシーに欠けているか、生まれたときからデジタル情報を操っているような子どもたちであっても、実に脆いということが、示されている。
 気づいた者が、フェイクというものに、はっきりと抵抗していかなければならない。その取り組みや将来については、著者は必ずしも悲観的な見解をもってはいない。いや、懸念はあっても、悲観してはいけないのだ。この情報による、ひとつ間違えば危機に陥る可能性のある時代の中で、希望を抱くことが求められている。ただ、そのためには、何が必要であるか、を自覚していくことが求められる。騙されないために、174頁においてまとめられているが、これをひとつの看板として、私たちは決して楽ではない道を歩み、また呼びかけなければならない。「情報生態系」と呼ぶいまの世界に、悪意が支配することのないように、健全なものを求める心が、協力しなければならないし、一人ひとりが地味な学びを得ていかなければならないであろう。その意味では、実に大きな意味のある本であることになる。




Takapan
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