『エスカレーターのかがく』
元田良孝・宇佐美誠史共著
成山堂書店
\2500+
2024.1.
交通工学、と言ってよいかと思う。両著者は、その道のプロである。元来エスカレーターの専門家、というわけではなかったように書かれている。その業務の中で、ある意味で偶々と言ってよいかと思うが、都内のエスカレーターの利用実態を観測する必要があったことから、この方面へと考察が進んで、この本ができた、ということらしい。
エスカレーターを、人はどのように利用しているのだろうか。それは実は危ないことではないのだろうか。いろいろな気づきが与えられる。
そして、いま社会でエスカレーターと言えば、エスカレーターで歩いてよいかどうか、という点が最も問題に挙がっている。かつては、エスカレーターで歩くことが推奨されていた。そのため、片側を空けて追い越しができるようにしておくべきだ、ということが常識になっていた。
しかし近年、これが全く逆方向に舵を取るようになった。エスカレーターは止まって乗る、ということを常識としようという動きが加速している。駅ではその旨のポスターがたくさん貼られており、放送されているところもある。また、自治体が条例で、エスカレーターでの歩行を禁止することにまでにもなった。
関東と関西とで、どちらに立ってどちらを空けるか、についての文化の違いがある。どちらにせよ、片手に不自由がある人の場合、手すりを握る手は決まっているのであり、それがその地方で空ける側を塞ぐことになると、追い抜く行動がとれなくなる。かつては、このときに後ろから嫌がらせをしたり、舌打ちをしたり、無理矢理押し入るように追い抜いていったりすることがあった。だが、どうあっても、それは危険をもたらすものとなる。
そこで、近年は止まるべきだ、という声が挙がり、少しずつではあるがその方向に社会認識が動いていると言えるだろう。しかし、その動きの中で、私自身、舌打ちどころか説教じみたことを乱暴に言われたこともあるし、肩をこじいれるようにして無理矢理追い抜かれたことも、実際にある。この「止まれ」のキャンペーンが盛んになされている中で、である。
著者は、そのことのためにだけ、本書を書いたのではない。実に精密に、専門的知識も交えて、エスカレーターとは何か、その歴史も仕組みも、鮮やかに描いてゆく。これはエスカレーターについての蘊蓄の塊にもなるし、マニアックな人には本当にたまらない内容となっている。メカニズムの説明は、一部のファンには涎が垂れるほどうれしいのではないか。いろいろ珍しい世界のエレベーターの構造が示され、写真も掲載されているなど、ただ見ていて面白いことが、多々ある。車椅子が乗れるエスカレーターというものも開発されているというが、生憎どこにでもそれが用意できるわけではない。叡智があっても、現実に機能はしないものらしい。
著者たちが行政に関わっているというので、法制度からの説明がある、というのもユニークである。何故こういうふうになっているのか、ああいうふうにしてはならないのか。ひとえに、それは法律のためなのである。
安全性と共に、バリアフリーの概念との関係も深く掘り下げられ、安全と機能とのバランスについての検討も、実際的に本書の中で繰り広げられている。
こうした多様な記述の中で、やはりひとつの章を、エスカレーターでの歩行の問題に割かなければならないのも、確かである。それを実際的、科学的に検討するために、片側を空けるときとそうでないときと、交通量がどのように変わるか、のシミュレーションも計算されている。
私は、片方に重量が偏ることによって、機械的によろしくないことがあるのではないか、と考えたが、その点は、実証されたわけではないのだ、というふうにも書いてあった。安全上、それに耐用できるのだそうだ。でも、素人目にも、機械としてあまりよいことではないのではないか、という気が、私はまだ残っている。とにかく安全であるというのなら、それはそれでありがたいことだ。
著者たちは、必ずしも、歩行を糾弾するというような書き方はしていない。けしからん、のような態度ではない。しかし控えめながら、お年寄りや子ども、病気や障害のある人のためにも、その安全が守られるように、この本をきっかけに、人々がよく考え、歩くことがなくなっていくとよいと考えているような心は、伝わってくるのであった。エスカレーターのすべてについて知悉する人が、「この本がきっかけてエスカレーターを立ち止まっ手利用していただく人が1人でも多くなると嬉しいです」と結ぶ本である。著者自身は強く訴える立場ではないという考えなのだろう。だったら、読者たる私たちが、その声をうんと拡声しようではないか。
ところで、私はよく分からないことがある。どこかに書いてあったかもしれないが、気づいていない。どうして本書のタイトルは「科学」ではなくて「かがく」なのだろうか。化学と掛けているような可能性はないと思う。このことが、ちょっと胸に引っかかっている。

た
か
ぱ
ん
ワ
イ
ド