本

『絵のある人生』

ホンとの本

『絵のある人生』
安野光雅
岩波新書856
\740
2003.9

 絵の好きな人だ。この本を読んで思ったことは、基本的にこのことだ。
 私もまた、何かを表現したくて、絵を描いていた時期があった。基本的なデッサンや理論などないから、めちゃくちゃであった。もちろん、絵らしい絵が描けるわけではない。でも、描く楽しみというのはこういうことか、みたいな気持ちは味わうことができたと思う。絵描きはこういう道具を使い、こういうふうにして絵を描いてゆくのだ、という実感を少し覚えただけでも、幸せであった。ちょうど、野球ファンが、野球場に来たり、あるいはグラウンドに立ったりしたときに抱く思いのように。
 ところが著者にしてみれば、それでいいのだという。絵はこう描かなければならないとか、こういう描き方はだめだとか、そうしたものは余計なお世話だという。絵が好きで好きでたまらない気持ちから始まるものは、どれもまた尊いのだというスタンスが、この本の中で守られている。だから、安野さんはほんとうに絵を愛しているのだなということも分かる。
 ブリューゲルを愛し、ゴッホを愛する著者は、美術史をひもときながらも、けっして通り一遍の説明に終始しないで、自分の目で美しいものを鑑賞すること、自分の手で美しいものを生み出す思いを語り続ける。いや、そのように生きている。
 最後に、絵を始める人のために、通常の入門書にはまったく書いていないような方法を提供する。それがどのようなものであるか、については、どうぞご自分でこの本をご覧ください。
 老境に達した著者の、人生そのものをそこに見るような思いがした、などと言えば、身の程知らずな若造の高ぶりになるかもしれない。
 子ども向けの数学の本のイラストを精緻に描いた、安野さんの持ち味が私は好きだ。子どもは、そんな絵が好きだからだ。子どもの心を計算してやっているとは思えないが、子どもが楽しみに思うことを、自分の楽しみとしてやってしまっているところに、私はむしろ羨望の眼差しを向ける。演技ではなく、作業そのものが、子どもと重なっているということに。




Takapan
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