『世界一わかりやすい絵の授業』
野村重存
PHP研究所
\1600+
2025.4.
時折見かける。「世界一なんとか」のような冠がタイトルに付く本。学習的なものに多いわけだが、どこまで本気なのか、洒落なのか、それともこれから引っかかって買う者がいるかもしれない、という作戦なのか。「おいしい牛乳」という名前も通用しているのだから、あながち不適切とは言えないのだろうか。
否、ケチをつけているわけではない。本書が絵の描き方について教えてくれているのは事実だし、「わかりやすい」という表現は、言い得て妙であるということはよく分かるのだ。
絵の描き方の本は、たいていカラーで、画材の紹介から、描いているところの写真、そして先生のお手本の絵の数々、こうしたものが鏤められているのが通例であった。描いている最中の手の動きや、絵が次々と描き足されてゆくところを順を追って示す、というふうでもあった。
だが、本書はそれらすべてを裏切ってくれた。
ここにあるのは、絵画教室の様子を録音したものを、ただ文字にして置いていったようなものなのだ。但し、もちろん先生と生徒が描いた絵が、ときおりただの作品として掲げられている。白黒である。本書は、白と黒のほか、強調点や枠や扉云々などのために、ターコイズブルーのような色が使われている。この三色である。そのため、絵は当然白黒となる。もちろんグレイのような濃淡は区別されるが、非常に地味な色合いである。
このターコイズブルー、最初に違和感を覚えたのは、マルマンのスケッチブックを示したイラストである。黒とそのブルーなのだ。こんなの見たことがないぞ。だが、次第に納得した。使えるインクが、ブルーしかないのだ。みかん色のようなところが、きれいにブルーに化けている。印刷の都合だったのだ。
さて、著者は絵画教室のプロである。テレビでも教えた事があるが、とにかくカルチャーセンターなどで、これまで35年間、のべ10万人以上に絵を教えてきたのだという。天晴れである。その授業風景を、どこかの予備校が授業の実況中継だとか言って、話しているそのままを文字にして本にしているものがあるが、あの調子だと想像すれば大体伝わるだろうと思う。ということは、正に対話としてそこに述べてあるわけで、なかなかお茶目な生徒がいい味を出していて、その対話によって、絵をどう描けばよいかという深みへ進んでゆけることになる。
冷たく、これはこのようにして描く、というような説明が続くような本ではないのだ。
超初心者のIさんという人が生徒役であり、最初にいきなりこんな絵しか描けませんが、と言いながら見せたのが、実に怪しげな柴犬の絵であった。これなら読者は誰もが、自分はまだましだと思えることだろう。以後、りんごを描く、木を描く、人の顔を描く、というようなレッスンがある度に、生徒のまず実力の絵が最初に見せられ、幼稚園の子かな、というようなその絵が、レッスン後にそうとうに素晴らしいスケッチに変貌するのを見るのがなかなか愉快である。
それにしても、普通は、画材屋さんでしか見出せないような画材の紹介から入る本とは偉く違い、本書ではただの三つであるのは清々しい普通の鉛筆、普通の消しゴム、そしてスケッチブック。このスケッチブックだけは、なんでもいい、と言いながらも、先に挙げたマルマンを推薦している。モチベーションを上げるためだという。なるほど。
まずはスケッチを「枠」から始める。静止したりんごは直線でカットしてゆくが、木の輪郭は葉の集まりだからたえず変化しているために、曲線でアタリをつけることになるのだという。「教える」というのは、こうした細かな違いを納得させることなのだ、ということはよく分かる。また、この木については、対象を見ずに描く、という心構えからまず教えられる。りんごはよく見ろというのに、木は本当の形を写し取ることができないからだ。これもまた、説得力のある違いの説明である。
テクニックについては、ここぞという場所で、ちょっとしたコツを伝える。木の葉のところを描くときに、鉛筆の持ち方をこのようにしてはどうだろう、と教える。すごく説得力がある。りんごのハイライトに、消しゴムをこのように使えばいい、と教える。確かにこのような手法は、生徒がその場で感動し、面白がることだろう。ここには、教育のエッセンスもこめられている。
りんごや木がえらく詳しかったのに比べると、最後の人の顔は、講座があっさりしていた。まだまだこれでは顔を描くということについて、不十分な教えに留まっているかもしれない。だが、こうやってきっかけを掴み、基礎的な見方ややり方を教えてもらったら、後は自分でスケッチブックに向かって、いろいろと描いてみたくなるに違いない。そのような実践が、何より大切なのである。私も、楽しく好きでいろいろ描いていた時間が、どれほど貴重だったか知れない。
確かに「世界一」かどうかは分からない。だが、「わかりやすい」という言葉に偽りはない。表紙にあるキャッチフレーズ、「センス0でも描けます!」という言葉は、この生徒役のファインプレーによって、十分実証されていると言ってよいだろう。「2時間で」とも宣伝されているが、確かにこれもオーバーではないと思う。
贅沢を言えば、これだけ申し添えておこう。読んでいるときにはふむふむと思えるが、後で実際に自分で描き始めたときに、あの注意は何だったか、どこに書いてあったか、というふうに調べたくなるなることがあるかもしれない。「コツ」の項目だけを並べた「まとめ」の頁があったら、そこだけを開きつつ、手を動かすこともできるのではないか、と思った。読む分には楽しいが、実際に描くその場で役立つような「まとめ」があったら、強い味方となるだろう。

た
か
ぱ
ん
ワ
イ
ド