本

『援助の心理学』

ホンとの本

『援助の心理学』
工藤信夫
聖文舎
\1339
1989.11

 ホスピスと言えばまず淀川キリスト教病院の名が挙げられる。そこで多くの患者とふれ合い、また治療に携わってきた方である。キリスト教放送局FEBCでも多くの福音メッセージを伝えており、多角的によき働きをしておられる。
 これまた古い本なので最近そういうのが続いて申し訳ないのだが、優れた書物はいくらお薦めしてもよいと思い、取り上げる。
 タイトルからして、「援助」がテーマである。サブタイトルに「人を助けるとは──精神科医の臨床経験から」と付せられている。まさに、助けることである。精神科の患者は、明確にこれが痛くてこれが傷だということを示すことができない。癒す側が判断しなければならない。時に、本人がこうなのだと訴えることと、本当の傷とが全然違うところにある場合もある。
 難しい。
 その中で、癒す側もまたただの人間なのであるから、逆に教えられることは実に多いものだろうと思う。教育の現場でもそれは数多い。人の親になることでさえ、どれだけ教えられながら親になっていくか知れないのである。
 だが、精神科医は過酷である。どうかすると命を失いかねない瀬戸際にあるようなケースがあり、それも見た目では分からない。人の心を扱うというのは、こちらの思惑ではどうにも解決できない問題なのである。
 クリスチャンとして、聖書の言葉を取り上げることもできるのだろうが、それを抑えて、ひたすら目の前の患者に正対して、何かを聞き取ろうと耳を澄ませる。聞き上手はその反対よりは遙かによいだろう。しかし、援助しよう、助けようと意気込むとき、癒す側は罠に陥りかねない。助けてやろうなどという、高慢な思いは、簡単に見透かされるのである。むしろ逆に自分が助けられていく思いすら抱きながら、とにかく目の前の個人その人から聴こうという気持ちになること、理解したいという思いで見つめ続けること、そんなことが必要になってくるものだろう。
 幾多の実例を挙げ、また特別に深い理由を含む秩序を以て、一つ一つの事柄に向かい合っていく様が、本から窺える。著者の誠実さが滲みてくるような思いがする。だがまた、現実に心の病に苦しむ人からすれば、それも簡単に「そうですか」で終わりはしないものだろうと思う。
 難しい。
 助け主たる聖霊を送る、とイエスは最後の説教で約束された。イエスは論理的な効果など考えずに、ただ憐れんでその都度手を差し伸べた。
 今日も、患者と共に苦しみ悩む治療者が各地で戦っている。行き詰まり自分を見つめて落ち込む人々はそれ以上にいる。この本が、そしてこの本を読んだ私の祈りが、何かの力にならないだろうかと思う。




Takapan
ホンとの本にもどります たかぱんワイドのトップページにもどります