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『エリートと教養』

ホンとの本

『エリートと教養』
村上陽一郎
中公新書ラクレ
\860+
2022.2.

 サブタイトルは「ポストコロナの日本考」である。2020年からがコロナ禍だということなので、このサブタイトルは、2年間の経過を見て、ということになる。あいにくその後もコロナ禍と呼ばれるような事態は続くことになった。
 村上陽一郎氏は、カトリックの信徒である。科学史や科学思想の方面が専門である。傾聴に値する意見をいつも投げかけてくるので、真摯に著書に向き合うことができる。
 問いかけは、「教養」という言葉についてだ。これを日常で使う場面といえば、どういうときだろう。日本では、避けたいこと、鼻にかけたくないことなど、真面目に教養があるなどということが言える雰囲気ではないのではないか。そういった点から、日本人にとって「教養」というものと、どう向き合っていけばよいのか、問いかけてくる。国際基督教大学名誉教授でもあることだし、リベラル・アーツとの関係にも、問いは向けられる。
 しばらくは、この「教養」を軸に論が展開する。否、論というよりは、著者の思いの丈を綴る、というような感じがする。悪く言えば思いつきであるが、しかし長い人生の中で培った信念とでも言えば、より適切であるようにも思われる。
 まずは政治、次はコロナ禍そのものについての検討、それから歴史的なものを少し見つめながら、日本のエリートなるものが、実は教養に欠けるものがあったのではないか、それを、キリスト教や聖書を少し組み入れてくるのは、少々きついかもしれない。続いて、日本語を軸にして、言葉において現れる教養ということを、様々な角度から語る。常日頃言葉について思っていることを並べた、というふうにも見える。NHKアナウンサーの見事な発音の人を具体的に挙げたり、藤山一郎の発音がいいと言ったりするかと思えば、若者の発音が聞くに堪えないと嘆くなど、相当自由に、自身の感じ方を転がし出す。自分も変体仮名を使うことがあるとか、歴史的仮名遣いや旧漢字を指摘には使うとか、なかなか現代の人が真似できないようなことを持ち出して来られても、それがなければ教養ではないのですか、と響くような場面が、少なからずあるような気がする。とにかく、頁をめくる毎に、何かしら新たなお小言が、次から次へとひしめくのだ。
 自らも楽器を弾き、クラシック音楽の経験の豊かな著者である。音楽マニアもいるけれど、という辺りまではよかったが、音楽にまつわる蘊蓄も、言葉についてに劣らないほどの分量で、熱く語られている。西洋クラシックに関する教養に満ちたお喋りが延々と続くように思えた。何かについて論じているという感じはしない。ただ頭に思い浮かぶことを、ひたすら喋り続けるといいう感じである。だから、本書にどんなことが書いてあるか、ということをこうしてご紹介しようにも、全くできない。
 最後には、生命というテーマについて、短く語る。たとえば同性カップルが自分たちの子を産むということが、技術的には可能になっている、という辺りのことを、羊のドリーの例を紹介しながら説き始め、最後には自死について話が進む。嘱託殺人事件を例に、教養という観点から最も考えなければならない分野であるだろう、というようなことを言っている。
 ここで本編は終わる。「おわりに」だけが残る。そこでは、本書では「宗教の問題」に触れることができなかった、と漏らしている。特に日本では、これをまともに考察する場面が見られない。そこには、政策的に教育の中で宗教を排除したものが関わっている、と私はよく思うのだが、著者は自ら信仰者でありながら、これができなかったことを悔やむような終わり方をしている。
 どの頁にも、著者の教養が満ちあふれている、そんなよもやま話の本である。読者が、自分の教養のために何かを得られるならば、それはそれでよいだろう。鼻濁音さえ知らなかった人、平仮名がどうしてできたかを知らなかった人、ドリーについて初めて知ったという人、皇族男子が軍務に就くことが当然だったと教えられた人など、随所で発見させられることがあるだろう。少なくとも「教養」というものは、恥ずかしくてまともに扱えないようなものではなく、できればそんな知識に満ちた人生を送ることができたらいいと憧れるようなものである、と思う人が増えるならば、著者はきっと喜ぶことであろう。
 ただ私は、「あとがき」にあるように宗教について触れられないのは残念だと思った。また、サブタイトルの「ポストコロナの日本考」というテーマが、いったいどこで強調され、論じられていたのか、ついに私は見つけることができなかった。「はじめに」と「おわりに」だけがにも全く出てこないのである。大きく掲げた看板である。いったいそれが何であるのか、著者はどのようにポストコロナという概念を捉えているのか、説いて戴きたかった。そうしないと、過去の話を得意気に語り続けても、時折そうだったなどと思い返す人が私世代以上だろうことを思うと、コロナの後にさあどうする、という意気込みが得られないような気がするのである。老いた方の昔話もいいが、サブタイトルに掲げた以上、コロナの後の時代へと背中を押すような励ましを送って戴きたかった。




Takapan
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