本

『日本の英語教育』

ホンとの本

『日本の英語教育』
山田雄一郎
岩波新書943
\777
2005.4

 そもそも、英語ができない私である。英語教育に対して、なんだかんだと言える立場ではない。そして、英語に対するやっかみのようなものも、あるはずだ。一種の妬みの心がある中で、英語教育に文句を言いたいなどと考えても、多分にそれはこちら側の偏見によるものだろう、とばかり思っていた。私のような意見は、あまり表に出ては来ないし。
 ところが、その意味で、この本には驚いた。何か通ずるところがあると思えたのだ。こんなことを言っちゃっていいのか、とさえまだ思ってしまうことだが、私の中にあるもやもやとした気持ちが、少し晴れたような気がした。
 だから著者の意見が正しいとか、すべて同意できるとか理解できたとかいうつもりもない。言っていいのだ、という、少しほっとした感覚があるというわけである。
 英語は要らない、と言っちゃうんじゃないかと思われるほどにまで、著者のように突っぱねる勇気は私にはないが、英会話を小さい子ができれば親が喜ぶ、英語教育ができる、というふうな風潮に、私は大いに疑問を覚えていた。英語の早期教育よりまず、母国語の体得が先にあるだろう、と思うのである。やたら宣伝されている、幼児用英語教材なんざ、害悪ですらあるのではないか(関係者の皆様、ごめんなさい)、と思えたのである。
 その辺りの背景を、歴史的・構造的そして政治的にきっちり議論してくれたのが、この本である。たとえば、挨拶会話などは、暗記するだけの英語であるが、まともな会話をするためには、考えながら文法的な理解をしていく必要があること、そしてその会話の中身が何かという点が前提としてまずなければならないのに、果たしてお決まりのフレーズを覚えた「会話」で喜んでいて、いったい何を会話するというのか、というのである。ふむふむ、よく分かるような気がする。
 それにしても、著者のタイプは、もしかすると英語的ではない。論じたい事柄の背景を、歴史的に延々と語り続け、後半でようやく議論がホットになってくる。そうなると、先に重しをかけておいた歴史的説明が、役割を果たしてくるのである。前半をじっくり読み切る忍耐が、私にはあまりなかった。むしろ、後半を早く読んでみたら読みやすく楽しいようだ、と感ずる。




Takapan
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