本

『ぼくの神さま』

ホンとの本

『ぼくの神さま』
ユレク・ボガエヴィッチ脚本
酒井紀子編訳
竹書房文庫
\618
2002.3

 タイトルにまず惹かれ、古本屋で手に入れたのだが、心に残る本となった。
 1942年、ナチスの手から逃れるべく、ユダヤ人少年ロメックは、ポーランドの都会から田舎に隠れ住むことになった。この冒頭のシーンから、いきなり衝撃的である。
 預かってくれた農夫には兄弟がいた。兄はロメックに反発する。6歳の弟トロは、ロメックを慕う。
 事の詳細をここでお伝えする予定はない。とにかく、場面が強烈なのだ。彼らを支えつつ、自らも人を救えなかったことでもがく神父。途中から神父は登場場面を減らすが、最後にまた重要な役割をもって登場する。原題の"EDGES OF THE LORD"という言葉が、最後に効いてくる。
 一瞬一瞬、死が隣り合わせになっている。その場面の描き方が、実に残酷でもあり、そしてあっさりとしている。あっさりしていることで、却ってこの不条理への憎しみも読者に伝えられるのかもしれない。グサリグサリと差し込まれてくるものが、たしかにあるのである。
 映画にもなっていたということで、映画からの写真も最初に数頁まとめられていた。切ない表情が多くのコマを埋めていた。
 トロの父親も不条理な死を味わう。そこからトロが、おかしくなる。トロは、教会で学んだ中から、自らをイエスのごとく見なしていくのだ。木の上に縛り付けられ、自分がイエスとなることで、死んだ父親も戻ってくるというようなことを言う。
 いや、トロは、まさに身代わりの死へと、歩み始めていたのだ。
 限界状況とも言えるような中で、神などいない、という言葉さえ飛び交い、また発することさえする神父も、どこか神にとどまっている。手を血に染めた少年たちも、この教会に戻ってくる。生きているのが不思議なくらい傷つけられた子どもたちが、懺悔に訪れる。
 日本の教会の中で、いったい何を言い争っているのだろうか、という気になってくる。中国でも命懸けで聖書を手にしている人々がいるし、その隣の国ではもっと怖いことだろう。死が日常的である中で、聖書を福音と受け取る心は、今の日本の私たちとは全く違う次元のものである。それがよい、と言うつもりはない。そんな世の中であっていいはずがない、と思う方が健全である。しかし、命懸けの信仰という視点に立つことなしに、十字架へ向かうイエスの歩みを知っているなどと、言えるだろうか。
 忘れられない、いや、忘れてはならない小説となった。




Takapan
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