本

『もっと好きになる 日本の童謡』

ホンとの本

『もっと好きになる 日本の童謡』
池田小百合
実業之日本社
\1680
2004.11

 童謡が、歌われなくなってきている。
 私なども、教室で、言葉の使用例として童謡を持ち出そうとすると、その歌そのものを子どもたちが知らないために、話が通じないという場面にいくらも出くわした。完了の「ぬ」は「夏は来ぬ」が的確だと思ったのだが、この歌自体を習っていないために、生徒たちは知らないのである。
 意味が分からずして、ただ歌っていたというものも多い。甚だしくは、聞き間違いのために、別の言葉で歌っていたとか、全然違う意味だと理解していたとかいう例もある。うさぎが美味しいのではない「故郷」、赤とんぼに追いかけられていたのではない「赤とんぼ」などがよく引き合いに出される。
 童謡をこよなく愛している人が、その童謡の生まれや歌い継がれた経過などを、実に細かく調査している。一曲一曲のコメントの中に、その労苦が凝縮されている。
 作詞者や作曲者についての興味深い紹介もいい。中でも私が心嬉しく思ったのは、こうした童謡の少なからぬ創作が、讃美歌の影響を受けているらしいことが、はっきりと述べられていることである。
 作曲者として「どんぐりコロコロ」「城ヶ島の雨」「とんび」の梁田貞、「故郷」「朧月夜」「春の小川」「紅葉」「春が来た」の岡野貞一、「風」「夕焼け小焼け」「どこかで春が」「みどりのそよ風」「汽車ぽっぽ」などの草野信が、クリスチャンであったことが生き生きと紹介されている。これらは、讃美歌のようなメロディでさえあると称されることがあったが、なるほど、作曲者自身がクリスチャンだったのである。
 日本のこうした唱歌の中に美しいメロディがあることを、京都の教会のハモンドオルガンの先生が、いつも強調しておられた。ああ、そんな意味だったのだと、今さらにうなずく次第である。
 なお、「里の秋」の続きの歌詞、「我は海の子」の7節に、軍国日本の思想が色濃く塗り込まれていることなども、この本から学んだ。そして「兎と亀」が日清・日露の狭間の時代で、当時の日本の姿を亀に見立てているという事実も、改めて思うと、歌というものがどんなに時代に生き、時代を作っているかが分かるように感じた。




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