本

『どうせ死んでしまう……』

ホンとの本

『どうせ死んでしまう……』
中島義道
角川書店
\1260
2004.7

 同じ福岡県出身として、同じカントを読んだことがある者として、そして同じような問題意識を共有している一人間として、著者に関心がある。
 まだ作家的な活動をする前に、いくらかのぼやきめいたその本を手に取り、この感性には乗ることができるぞと思い、気にしていた。そして次第に、著者はメジャーになっていった。
 街の警告文やアナウンスに嫌気がさし、違法駐車の自転車を蹴飛ばして歩く著者の姿は、むしろ正義の徒のようにさえ目に映った。
 その後、著者は、「ぐれた」。
 開き直ったかのように、半隠遁生活をし、より閉じこもるかのような生活に自分を導いていった。
 様々な場所に書きとどめた原稿を、一冊の本にまとめたようなものである。だが、常々頭にあることは、どこに載せようが、一つの太い綱を中に秘め、それがつながっていることを否定できない。
 死の必然を予想し、永遠など何もないことへの空しさと、それでも生き続けることへのさだめあるいは執着のような魂の叫びが、どのページにも溢れている。
 そこまで自分をぼろかすに言わなくてもいいのに、という気がしないでもないし、かといって自分を飾ってしまうと、持ち味がなくなるだろうなとも思うし、これはこれで、著者の一つのスタイルができたことになるのだ、という割り切り方も、できないわけではない。
 だが、これだけ自己と宇宙を見つめ続けている著者が、宗教の世界に足を踏み入れないことも、たまらなく不思議に思われた。それさえも頑なに拒んでいるようにさえ見えるのは、私だけだろうか。かといって、殊更に信仰を拒否しているというふうにも読めないのだ。むしろ、信仰を罵倒したり拒否したりしている人間のほうが、信仰に近いところにいると言われるくらいだから、その点でも、信仰とは奇妙にすれ違っているのかもしれない。
 私がこの本で発見したことは、175頁に書いてあった。
 一種の別居生活をしている著者の奥さんが、2000年の4月に、カトリックの洗礼を受けたというのだ。
 別の箇所でその妻に、勝手に天国へでも行けばいい、という言葉を投げているが、どうにも、言葉にされていない何らかの揺らぎが、そこにあるのではないか――などと憶測をすれば、著者に、何も分かっちゃいない、と嘲笑われそうである。
 毒のような言葉を撒き散らすと認めつつ、また書いている。それは金になる仕事であろうが、金だけのためではないようにも思われる。だとすれば、語り得ない何かが、著者を取り巻いているのではないかと、私はますます思いたくなるものである。




Takapan
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