本

『「どんぐりの家」のデッサン』

ホンとの本

『「どんぐりの家」のデッサン』
山本おさむ
岩波書店
\1500+
1998.5.

 かつて私はろうの方に読めと『わが指のオーケストラ』を貸してもらった。これが山本おさむさんの作品だった。これで人生観が変わった。というより、ろう者というものについて初めて、いくらかでも知り得たような気がした。その後、高橋潔先生にいての本に触れたり、また同じ山本おさむさんの『どんぐりの家』を読んだりして、ろう者などについてさらに教えてもらった。
 その山本おさむさんが、自分の作品について、いや恐らく障害者問題について書いた本があることは、その後知った。だが先延ばしにしているうちに読むことなく過ごしてしまい、最近また、これは読まねばと思わされ、またいくらか安い中古本で見つけたこともあり、手に入れて読んだというわけである。
 予想以上だった。漫画家として、最初からろう者や障害者を描こうと思って仕事を始めた人ではなかった。作品を生み出す営みの中で、なんらかの出会いがあり、手話の手の字も知らないような中で、彼らを他人事という目で見ることができなくなったというのである。あるいは、その世界に捕らえられたとでも言ったほうがよいかもしれない。
 その過程が事細かく書いてある。どうやらそうしたことは、漫画作品の隅のコーナーなどに、少しずつ書いていたものらしい。障害者についての漫画という、冒険を始めた著者であるが、それが良い方向に進み、取材を受けたり賞をもらったりするようになったのはよいが、インタビューされて答えても、なにかそれとは違うという意識を懐きながら、答えを作ってきていた思いがあった。思いの一端は、かのメモのような隅に記していたわけだが、それが岩波書店の人の目について、それをひとつの本にしてみないかという話が持ち上がった、それでできた本がこれである、というわけである。
 そもそも漫画家が作品を生み出す仕組みから入って、自分の場合、そしてどうしてこうした作品群を生み出すことになったのかについて丁寧に説いていく。これが実によく書かれていて、漫画ばかりでなく、普通の文章についても実に巧いものだと感動を覚えた。無駄がなく、そして様々な配慮をしつつ、的確に問題点が伝わるように叙述してある。読み進みながら、どきどきが止まらなかった。当事者の苦しみを描ききっているわけではないことは、著者自身よく分かっている。だが、少しでも何かを共有したいという思いの中で、育まれたものは、ポイントをしっかりと見つめる眼差しと、それのもつ意味とであって、それが本書にぶちまけられている、と言えば言葉がきついかもしれないが、それくらいにストレートに、時に怒りをもって、時に嘆きをもって、最後まで息をつかせない勢いで書き綴られていると思うのだ。
 書かれてから20年経って、私は読んだ。だから、ほんの少しではあるが、改善点はあるかもしれない。手話言語条例が、徐々にではあるが、各地で成立しているし、手話に対する理解も、書かれた当時と比較して幾分でも好意度が増しているかもしれない。小学校でも普通にろう者と触れ合うというプログラムが実行されている。だが、根本的な部分でまだ何かが違う。それは何か。表向きには事態は改善しているはずなのだが、どこか意識の根底にあるものが質的に変わっていない。その実例が、障害者雇用の数字のごまかしを、その制度をつくった政府からして平然と行っていたことが明らかになったことでもあるだろう。人間の生産性を重視する考え方などは、この本の中で実は粉砕されていたのであるが、いまだに政治家はあちこちでそのような考えが根底にあることを露呈しています。
 ただ、私にとり恵まれていたことは、ろう者から教えられ、また話してもらったことで、本書に書かれていることの背景を、それなりに聞き知っていたことだ。だから本書にあることについて、違和感はない。もちろん、それは山本おさむさんにすでに教えられていたという部分も多い。
 本書は、必ずしも当事者ではないかもしれないが、だからこそ、その問題に気づき、知っていった人の過程として、私たち一般の誰もと同じようなものであるという理解をすることも可能だ。私たちもまた、山本おさむさんのような変化を受けることが、できるはずなのだ。いや、この方は漫画を書く時間を削ってでも、手話教室に長年通い、障害者運動の現場に出ていろいろな人を訪ね、募金活動に走り回り、共に行動してきた方である。そんなには私ができるものではない。読者がおいそれと背負えないものを担っている。ただ、ほんの少しでも、その世界に目を入れ、その空気を吸うことができたら、それでも、社会はいくらかでも変わってくるものではないだろうか。障害者問題というのは、実は健常者の問題である。本書で幾度か見られるこの言葉の意味については、私はこれまでもそれなりに考えていたが、あらゆる読者が、まずこの意味を知ることだけでも、社会を変える力になるのではないか、と私は思いたいのだ。




Takapan
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