本

『人形の家』

ホンとの本

『人形の家』
イプセン
矢崎源九郎訳
新潮文庫
\324+
1989.8.

 改版が1989年で、元は1953年発行である。訳が古いと思われるかもしれないが、どうしてどうして、何の違和感もなく読み進むことができた。というより、私は戯曲ものについては、どうも緊張感が保てず、途中の筋道を見失ったり、つながりの良いところを見落としたりすることがしばしばあるものなのだが、この作品については、実にスムーズに、隅々まで楽しめたような気がした。これは自分にとり珍しいことであった。
 いまさら『人形の家』か、と呆れられるかもしれないが、粗筋や評論でなく現物を(邦訳であるが)読んだのは初めてである。「人形の家」とくれば弘田三枝子だと思う人もいようし、近年は西田あいがカバーしているが、この歌とこの戯曲は似ても似つかぬものである。この作品のもつ意味についても、あらかたは知っていた。しかし実際に読むと、かなりその予備知識とは違うものを感じたと言わざるをえない。
 ノラという女性が主人公である。ネタバレをすべきではないので端折るが、弁護士の夫と3人の子どもに恵まれ、不自由のない生活をしていた。不安があるとすれば、生活費が豊かではなかったところだろうか。しかし夫は今度ある伝手があり、間もなく収入が増え生活が安定することが約束されていた。そしてこの夫は、ノラをとても愛していた。可愛い小鳥よと可愛がる。
 この作品の成立は、1879年である。イプセンはノルウェーの詩人。しかし戯曲に手を出して成功する。この時代の女性がどういう様子であったのか、社会学的な知識があろうがなかろうが、社会的な権利は認められず家庭で淑女であれかしと、一定の身分や生活のあるところでは決めつけられていたことだろう。いや、当時はそれが当たり前すぎて、悪いとかおかしいとかいう感覚もなかったはずである。
 しかし本作品の中で、働く女性の姿が垣間見えるし、仕事ができるだろうという見通しをもつ女性が、ノラの親友として登場する。クリスチーネは独り身となり、仕事を探している。そこへ、ノラの夫が今度職務をもつ銀行で事務職を得るのである。それは、ある男をひとり辞めさせることによって空くポストであった。その男、実はノラに金銭関係で関わりがあった。そして、ノラはその契約の中で失態を犯していた。男は、ノラに、自分の仕事を辞めなくてすむように夫に計らってくれ、と頼みにくるのだが……。
 ノラは社会的な契約の中でまずいことをしていたために思い悩む。もちろん夫には隠しておくしかない。しかしあの男は失職となり、そのためにノラのことが夫に知られることになっていく。そしてそのとき、ノラは自分というものについて考え、立ち上がるのだ。自分はいままで人形であった。だからこれからは自分のことを考えて生きていくようにする、と。
 セリフや場面が、そして設定や状況が生き生きとして、怖いほどである。これは、クリスマスの時のわずかな日数の中の出来事としてまとまっている。このクリスマスという背景が、また考えさせる。クリスマス・ツリーの飾り付けから始まる劇なのだが、それまで出さずにしまっておいたものが出されるときである。秘密にしていたノラの行為が明らかになることや、ノラの心の中に隠れていた「自己」、人形ではない人間のみが有している「心」というものが、露わになることを象徴しているのではないかと思われる。もちろん、他にもストーリーの中で秘密のことはいろいろあるので、実際に読んだ方はもっとあれもこれもとご指摘なさることだろう。因みに、隠されたものが露わになることが、西洋的には言語的に「真理」概念を形づくる。本当のこととは何か、ノラの決意する結末でそれが明らかになるであろう。
 そして最後には、ノラは、奇蹟でも起こればまた元に戻るだろうと言い、夫は奇蹟が起きることを期待することのほかは絶望で終わる。クリスマスはその奇蹟の起こった時を記念する。そうした宗教的な含みを特にもたせたものではないが、クリスマスの時季を描いているし、最後に夫は、ノラに、おまえは宗教をもなくしたのか、と怒りとも悲しみともつかないような声をぶつけるところがある。宗教や道徳というもののお決まりのテーゼが、それだけではいけないこと、つまりそれだけでは、従来の社会や習慣の中で体よく利用されるだけのものでしかないことが、暴露されるかのようである。
 劇である。いかにものオーバーな演出めいたセリフである。ただの小説ではない。魅せるための技巧が使われていると言える。だから、ある意味で分かりやすい面がある。さりげなくというよりは、明確に言葉にし、また行動として打ち出されなければならない。私がすいすいと読めたのは、内容的に関心が深いものであったと共に、このような演劇のもたらす効果というものも影響していることだろう。いや、だから何でも分かったというわけではない。浅瀬のところを少し掬ってみたというだけなのだと思う。ところどころ黄色いラインを引いてみたが、ちょっと引っかかる言葉などを拾い集めてみたら、また別の景色が見えるようになるかもしれない。
 短い作品だと言えるので、これはもしまだの方がいらしたら、体験してみては如何かとお薦めしたいものである。




Takapan
ホンとの本にもどります たかぱんワイドのトップページにもどります