本

『読書論』

ホンとの本

『読書論』
加藤周一
岩波現代文庫
\900+
2000.11.

 文学についての本を読んだことがあるが、特別にいろいろ読んだわけではない。しかし、その評論家としての実力は、一種の敬意を以て見つめていた。書店で安く手に入ったために、これは読めという天の采配だなと思い、購入した。しばらく積んでいただけだったが、ある人のツイートで推薦してあったので、これもまた今が読むチャンスだと思い、読み始めた。読みやすかった。
 最初が1962年に発行されたようで、特別に中身を変えることなく、文庫などに置き換えて今日岩波現代文庫が一番新しい形であろうと思う。つまり私は本書を、最初の発行から60年を経て読んだのである。
 驚くべきは、読書に関しては、そんなに古さを感じなかったという点である。それは本人も、あとがきで改版に寄せて記している。
 もちろん、読書の仕方や考え方について、馬が合わない読者もいるだろう。これは特別な才能のある人のための自慢話のようなものだ、と見る人がいるかもしれない。だが、読書というもの、本というものについて愛する心があるならば、通じるところはどこかにきっとあるだろうと思う。
 惜しむらくは、このウェブ社会になっての読書というものについて、加藤周一氏が十分考察する余地がなかったということだ。ぜひそれを聞いてみたいと思う。単純に電子書籍ということでもいいし、ネットで読むということがどういうことか、また、電子情報が人をどう変えてゆく可能性があるか、聞いてみたかった。
 内容は、大きく8つのテーマに分けて、その中で小さく区切った幾つかの話題が展開する、自由なエッセイ気分で読めるものである。短くまとまっているので、気軽に読める。ちょっと読んで一休み、その繰り返しも可能だ。書いてあることも、平易な言葉で理解しやすい文章であるから、本当に読みやすい。そしてもちろん、その内容である。
 語学に長けた著者であるから、外国語の本を自由に読むあたりの件は、羨望の眼差しで見守るしかなかったが、途中からは、読書術とでもいうような、ややノウハウ色が強いメッセージに変わってゆく。
 ゆっくり読め、というアドバイスは耳が痛かった。いまでは平野啓一郎氏が、スローリーディングを提唱しているが、彼も本書に刺激を受けているのかもしれない。他方また、速読の必要もちゃんと騙っている。要は用途なその時の条件なのだ。たくさんの資料を見なければならない立場や場合もある。その必要があったとき、では具体的にどのように速く読むのか。確かにこれも、必要な情報である。おそく読めということと矛盾するように見えるかもしれないが、私はそうではないと思う。本によっては、また情況によっては、どちらの技術も必要なのだ。
 また、同時に数冊読むという点は、私がずっとやってきていることだったので、ふふふと笑いながら読んでいった。加藤氏は、同時に読むその一冊に「聖書」を例示していたが、本書にも時折聖書に言及する場合があった。聖書を知らずして西洋文化について一言言うなどということは、やはりできないのであるにしても、私としてはちょっとうれしい気がした。
 それにしても、驚くことに、本を読まない読書があるのだ、などと言い始めるのはどうなのか。だがもちろんこれは逆説的な表現である。広く浅くではなく、狭く深く読むという読書の方向性のことである。あらゆる文学者を浅く呼んで、ありきたりの感想や知識しか得られないというよりも、1人の作家を徹底的に読み砕いて、深い論評ができるとなると、こちらのほうが有意義であるのかもしれないのである。特にそのとき、「ダイジェスト」に乗ってはいけない、ということを強調しているのが目に付いた。映像を早送りで処理したり、歌の中のソロ間奏を飛ばしたりするような人がいる現在に、実に痛い批評ではないだろうか。
 外国語の本のうまい読み方も紹介されている。また、外国語で読むことのメリットも、未経験者にも分かりやすく呼びかけている。この辺り、さすがに巧い。さらに、新聞や雑誌をどう読むかということ、ここまで「読書論」の範疇に入れていてくれるのはうれしかった。学術雑誌のようなものにも読む技術がいるという。新聞を読むことは貴重ではあるけれど、各紙で立場が違うことを弁える必要のあること、当たり前ではあるが、これすら分からずに一紙だけ見て、これこそ真理だと吠えているような人が、世間には事実いて、迷惑であることを思うと、やはり本書の指摘は鋭いとしか言いようがない。
 難しい本を読むにはどうするか。哲学も例に挙げられているし、私も難しい本を読むことがあるが、著者は、書くほうが分かっていないとか、翻訳が悪い可能性があるとか、読者の心を楽にしてくれるアドバイスをしてくれている。もちろん読者に問題がある場合が多いことは分かっている。だが、定義をまともにせずに思い込みで話を進める論者は、世の中にいくらでもいる。説明が下手な人も、数知れない。この方法の締め括りの見出しが「求めよ、さらば与えられん」というのは、もちろん言葉のもつ意味からすれば聖書とは全く違うのではあるが、難しいと思うのは、私がその本を求めておらず、私にとっては必要がないからだ、という指摘は、もしかすると一つの福音であるかもしれない。
 但し、時代的な勢いのなせる業であるのか、本を開いて最初のまえがきの1行目から、「どういう女を口説いたらよかろうか」などという表現をもってきたり、いまならどうかなというような言い方したりして、少しハラハラさせることもあった。そういう時代だったのだ、ということを知るのも、私たちの義務となるのであろう。それを知ることは、悪いことではない。
 読書についてのすべてが分かる、などとは言わないが、これはなかなか大いに参考になるものなのではないだろうか。確かに、ツイートで推薦していただけのことはある。




Takapan
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