本

『今、読書が日本人を救う』

ホンとの本

『今、読書が日本人を救う』
鈴木健二
グラフ社
\1600
2004.10

 書き下ろしとして新しく出されたもの。御年75を数える著者が、極めて若い語り口調で、かつてのNHKの番組と同じように力強く、そして信念に満ちたあり方で、世の中を辛口に批評し、ユーモアで人の心を開かせ、読書へ誘うパワーを秘めた、好著である。
 テレビ局に長く携わり、テレビへの愛着が限りなくある立場から、なおもテレビを批判しなければならないというわけだから、説得力もある。テレビのための時間を半分にし、空いた時間の半分を読書に、残りの半分を元気に外で遊ぶために使えばいい、と子どもたちに指導する。極めて具体的で、実行可能なプランである。こんなに簡潔に、必要なことを述べることは、素人には難しい。
 著者は、NHK退職後は、熊本や青森で、文教事業に携わっている。青森での図書館長としての経験も、本の中に多く紹介されている。前の知事は、それに理解を示し、青森が少しずつ文化的によくなってきていたのだそうである。
 目先の金や選挙区民の利益にばかり気を払うような政治家さんには理解できないような、文化的慧眼がここにはある。それはたしかに具体的で、現場の人間の力というものに対する信頼に満ちている。そして、とりもなおさずこのことは、読書というものが道を拓くものなのだという考えが、この本からは溢れている。
 思索という言葉が、もう死語になっているのかもしれない。なんだか、そういうものだという空気に、私自身慣らされてしまっていたような気がする。これは反省点だ。そうではならない。これではいけないのだと、声を嗄らして、鈴木氏のように叫ばなければならないのだ。希望と確信とをもって。
 戦争中、情報に騙されたこと。そのときにも鈴木少年は、自分で考えることによって、ただ大本営の言うままに信じることがすべてではないことを悟っていたこと。だから天皇を神だと考えないと暴力的に、いや正に暴力によって思想を一意に染め上げられるようなあの時代にこれから流れていってはならないのだ。もしもテレビに考えてもらい、自分では何も考えない人間ばかりになると、またあのようなことになる。著者は、そのことを懸念している。まったく、その通りだと言わざるをえない。
 鈴木氏が珍しく聖書のことを述べているところがあった。最後に引用する(71頁)。
 私もクリスチャンではありませんが、今でも時折聖書をひろげることがあります。私は原稿を書く時に他の方の文章や言葉をほとんど引用しませんが、聖書から得た生きるためのヒントは、何かの折りに書きます。それは、……(中略)……愛の本質を表す言葉です。




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