『独白』
シュライエルマッハー
木場深定訳
岩波文庫
\505+
1995.12.
カントより30〜40年遅い人生を歩んだ、神学者。哲学者と呼んでもよいだろうか。偉大な『宗教論』という著作がある。読みたかったが、手が出なかった。するとこの『独白』が、手に入りやすい価格で出回っていた。紹介されている文も悪くない。それで注文し、届けてもらった。
観念論や解釈学との関連がよく取り沙汰される学者であるが、本書はかなり自由である。1800年の初めに贈るプレゼントと称して、省察・吟味・世界観・展望・青年と老年、という五つの章に分けて、自分の思いのままに、語りまくるといった具合である。自由の意識の尊重あたりは、カントの影響はきっとあるだろう。理性によって聖書を解する、という空気は、その時代に比較的有効だったのかもしれない。そうしたことが自由にできるようになった、とは言えないが、時代はそういうふうに、もう流れていて誰も止められなくなっていたのだろう。
シュライエルマッハーが生まれた頃にドイツに巻き起こったのが、いわゆる疾風怒濤の動きであるが、若い頃にはその動きに動かされたのではないだろうか。本著は、必ずしもその思想とつながるかどうかは分からないにしても、情熱的な叫びのようなものが延々と続く。前年に、主著ともなる『宗教論』を出している。その副題は「宗教の蔑視者のうちの教養人に寄せる講説」となっている。いずれ読ませて戴きたいと思うが、そこにはいくら熱意があろうと、きっちりと議論しなければならかったはずである。ところがそのたがが外れたかのごとく、ここでは実に自由にのびのびと、思いの丈を零している、といった印象である。
濁流に呑まれるようにずっと読んできて、本の半ばを少し超えたころ、本が終わってしまった。まだ残りは100頁ほどあるのに、どうしてか、と思ったら、そこからなんとか長大な「解説」が始まるのだった。否、「解説」は残りの半分もなかった。その後は「附録」である。
実はこの「解説」は、本書の背景と、五つの章の要点を手際よくまとめたものであった。その意味では、この情熱的な、把握しづらい本文を、この「解説」だけ読めば、筋道は分かるようになっている。もしかすると、本文を読むより先に、この「解説」を読んでおけば、本文を読む勢いも違ってきたのかもしれない。それは、本文のパワーを所見で味わう楽しみは奪われるかもしれないが、理解はしやすくなったかもしれない。この「解説」は、本書のためにはお薦めである。
ところが続く「附録」、これが凄かった。とても附録どころではない。題は「友情・恋愛・結婚」となっている。シュライエルマッハーの恋愛歴が事細かに書かれている。というより、これは殆どスキャンダルである。
シュライエルマッハーは、神学者である。しかしその社会生活は、家庭教師から入る。貴族の仮定であるから、いまの私たちのイメージとは異なる。そこで娘を女性として扱ってしまう。未婚の女性を相手にしたのは、これが唯一であり、あとは既婚の婦人である、と直ちに説明がなされている。
神学校の教師や病院の説教師、その中で貴族婦人と特別な関係になる。未亡人であったとはいえ、当時のスキャンダルにもなっているという。当時の貴族の女性は、しばしば高い教養をもつ。生活の中でもてる時間を、教養のために用いると、なかなかの知識となってゆくのだ。カントも、そうした女性たちとの昼食が活躍の場であったという。しかしカントは女性と懇ろになるようなことはなかった。それに対して、シュライエルマッハーは、こうした関係を随所でもってゆく。あるときは牧師の妻とも強い結びつきを得ている。どうやらシュライエルマッハーは、不幸な女性をみると、放ってはおけなかったらしい。
こうした遍歴を重ねながらも、やがて牧師にもなる。自由主義神学の祖とも言われるシュライエルマッハーは、まさに、「自由主義」を生きたような人だったのだ。
解説以下を頼りに触れてみたが、私の読み間違いがあるかもしれない。この辺りの事情を捉えてみたい方は、ぜひご自分で調べてみることをお薦めする。

た
か
ぱ
ん
ワ
イ
ド