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『独学の思考法』

ホンとの本

『独学の思考法』
山野弘樹
講談社現代新書2654
\900+
2022.3.

 大学院生が新書の著者となる。若々しい意気込みが見られてよいと思った。それは、著者の文章力がしっかりしているというためでもある。「ですが」で文を始める癖が見受けられ、書き言葉では使わない、話し言葉を強調した語りかけも、恐らくソフトな雰囲気をつくるために故意にやっているのだろうと思う。若いのに、などというのは失礼かもしれないが、説明が丁寧で、また分かりやすい。それは、日本語として適切なものとなっている、ということでもある。フランスの現代哲学の方面で優れた論文を書いているらしいから、将来がまた楽しみでもある。
 だがそこにばかり注目しているわけにはゆかない。「独学」というイメージが、何かしら技術を身につけるためにひとりで学ぶのだ、というところにしかない人もいることだろう。ビジネスの資格を取得するために、ビジネス学校に行かねばならないような風潮があるとして、いやそうではなく、自分一人で学ぶこともできるのだぞ、などと。だが、そのための本でないことは、読めばすぐに分かる。否、私がそんなものを求めてこの本を開いたのではなかったから、意識していなかったと言ったほうがいいだろう。このからくりが「おわりに」で明かされているというのは、一部の人には不親切だったかもしれない。
 しかも、「はじめに」は、いきなりビジネスという語から始まっている。まさかとは思うが、少し心配する。
 本書にユニークさは、その帯にもある。通常の帯の2倍の幅が使われているのだ。出版社の期待も大きいのではないか。サブタイトルの「地頭を鍛える「考える技術」」というのは講談社側が決めたのではないかと推測するが、帯には大きく「「考える力」が根本から身につく!」と、これまた大きな構え方だ。そこに挙げてある項目は必ずしも分かりやすいものではないが、これらを「独学」という概念の中に収めることが果たして適切であったのかどうか、は分からない。むしろ「考える力」または「考えるメソッド」のほうが、より本書の核心を突いたものではなかったかと案ずる。
 というのは、「考える」ために必要と思われる五つの技術または原理について丁寧に説いていく「原理編」が半分ほど提供された後、「応用編」として待ち受けているのは、「対話的思考」だったからである。もちろんそれは、独学を深めるためのものとされており、たとえば読書において筆者と対話するということを含んだものではあるのだが、相手との議論の展開のために必要なものの言い方といったものが強調されてもいて、これは明らかに、誰かと対話している現場における技術ないし注目点である。つまり、他人との対話を含めたものが「独学」だということになっている。ここは少し分かりにくいかもしれない。
 少し触れられてはいたが、対話をすることで、自分の中に眠っていた思考に気づかされるということは、よくある。自分だけで考えていたときには意識しなかったものが、他人との対話の中で浮かび上がってくるのである。だから一人でこもって考えているのは、確かに集中はできるかもしれないが、自分だけで意識できる範囲のものになってしまいやすい。だから私たちは読書をする。それは他人との対話でもある。他人に刺激してもらい、自分の言いたかったことに気づかせてもらうという場合もあるし、思わず反発することにより、自分の中にある構え方が表に出てくることもある。何より、自分の考えていたことに対する反論の型を知ることで、自分の主張をそれに対して押さえておく必要があることが分かるというのは、論客を目指す者にとってはありがたいことである。
 しかし、本書では、必ずしもその孤独な、相手が静止している状態の対話ばかりではなく、相手の反応をよくする、対話のライブ感覚におけるマナーのようなところも色濃く扱われているので、読者は、思っていた「独学」とは少し違ってくるものを感じるのではないかと思ったのだ。
 単純ではあるが適切なイラストや、図式化された営みが効果的に配され、また、時に抽象的な説明が具体的な事柄でなされるなど、読者に対する配慮が随所に見られる。これは文句なしに親切で優れた点である。用語の準備的な説明や、一読でなるほどと思ってもらえるような文章は、そう簡単に書けるものではないだろう。「考える技術」を説く本が、それ自体肩に力を入れて「考える」のでなければ読めないとなると、洒落にもならない。それでも、時に哲学や論理の訓練ができていないと、そんなにスムーズには読めないところがあるかもしれない。仕方がないと言えば仕方がない。しかし、まず枠組みを提供しておいて、そこに事柄を入れていくという説明の形は、分かりやすいはずである。
 こうした思考のルールを、誰もが踏まえて話をするならば、きっと議論は実入りが多いものとなるだろう。悲しいのは、会社の会議でも、SNSでの意見の交換でも、このような基本的な考え方がまるで分かっていない人が、感情的に、また独善的に、無邪気に荒らし回っていることが散見されることである。最近話題になった「論破」という語の登場などは、その最たるものである。その意味で、本書が貢献できる場面は、きっとかなりたくさんあるだろうと私は思っている。




Takapan
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