『福知山 ドッコイセの街 歴史散歩』
福知山商工会議所ドッコイセ回廊活性化事業歴史再発見委員会編
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2000.3
京都府福知山市のJR福知山駅の観光案内所で購入した。
妻が、福知山市出身である。私が福岡と京都市のほか、最も足を運んだ街である。明智光秀の街として歴史的には名が通っている。直接城主であった期間は3年ほどであったのだが、由良川に手を入れ、現在の福知山市の基礎をつくったとされる。世間では裏切り者と叩かれる武将であるが、福知山では地元の誇りである。
本書は、地域活性化事業で「福知山音頭と福知山踊り」を表に掲げて地域活性化を図る、という事業の一環としての記念誌である。
発行された2000年は、広小路300年という年にもあたり、力のこもった編集となっている。装丁は素人的ではあるが、資料的な価値はなかなかのものであると思う。
この広小路というのは、市内の繁華街である。もちろん福岡の繁華街などとは比較できないくらい素朴なものだが、地元では賑やかな中心部であると言ってよい。いまは大きな道路が走っているが、昔はこの広小路が、その名の通り、広い道であったということになる。では何故それが広いのか。私はいままで知らなかった。本書には、そのような福知山の歴史が丹念に調べられて掲載されている。
結論から言えば、その広小路は、人為的に造られた道であった。密集した民家が並ぶ市街地は、本書が記録した16世紀末からの年表の中に、何度も何度も「大火」に襲われている。数百軒を焼失する火災も珍しくない。とにかくその頻度たるや、想像以上であった。広小路は、狭い道をそこで断ち、広い道をつくることで延焼を防ぐ効果があったというのだ。
光秀が由良川を改修したと述べたが、この由良川は、洪水を起こしやすく、いざ起こると、低い市街地が水没する構造になっている。これはいまでも起こっており、比較的小さなものなら毎年のようにあり、床上浸水や一面が池のようになるという事態も、特に台風を契機とする形で度々招いている。現代の工法での大作であってもこうなのだから、昔の被害は果てしなかったことだろう。近年でも、特に昭和28年の台風13号による大洪水は、明智光秀を祀る御霊神社にその記録が目立つように掲示されているが、建物の2階までとっぷりと水に浸かるような被害であったという。義父もそのとき命からがら助かったと話していたそうだ。
よくぞこれだけ、災害に街がたたきのめされながらも、人々はまた街を再興してきたものだと驚く。それでもここに住むということの力に、敬服するばかりだ。
本書は、歴史をただ過去から辿るものではなく、広小路の歴史をまず丁寧に語る。資料もある程度そのままに引用するし、かつての写真も、小さいながらたくさん掲載されている。特にその災害のときの写真は、本当に酷い。
さて、本書の題にある「ドッコイセ」は、地元の人でなければ意味が通じないだろう。福知山踊りにはこの「ドッコイセ」が掛け声のように歌われるものである。年表によると、この「ドッコイセ」という言葉は、明智光秀が城を築くときに、石や木材を運ぶ労働者が唄っていたのだという。
かつてお伊勢参りというものがあり、その「おかげ参り」は熱狂的な、あるいは憑依的な現象だったらしいが、そうした中で、福知山独特の踊りが生まれていったのかもしれない。いまでは盆踊りの機会に、盛んに踊られている。その歌詞の分析が、本書の後半で詳しくなされている。古い図解もあるそうで、その後いろいろな人の検討を踏まえて、いまの形が調えられていったそうだ。その辺りの事情も、いろいろな資料から集められている。必ずしも一人の学者がまとめてしまったものではなく、かつての文集のようなものからも拾って、個人の感想や体験談も紹介されている。このようにいろいろな声を集めて掲載しているため、判断は読者に任されていると言えよう。私はそれでよいと思う。これひとつが正しい、と定説めいたものを決めてしまうよりは、とにかく様々な歴史を見せてほしい。それをまた新たな時代に、まとめてゆくとよいのだ。
さて、個人的に心に留った叙述として、明智光秀とキリスト教との関わりがちょろっと書かれていたことを最後に付け加えよう。光秀の娘は、細川ガラシャである。キリスト教信仰をもった、本名「たま」という細川ガラシャは、三浦綾子の小説でも知られるが、細川忠興に嫁ぎ、戦国の世の悲劇の女性の一人として知られる。本書の記事によると、「娘の細川カラシア(ママ)夫人を通じてキリスト教へも目を開いていた点もただの封建領主にないことで注目していい」と、林屋辰三郎教授らが言っているのだという。林屋辰三郎教授は、京都についての歴史に関して非常に有名な学者である。歴史的な批評は私にはできないが、こんな叙述に出会えるとは、私は思っていなかったので、より福知山に親近感を覚えることとなった。

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か
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