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『読解力を身につける』

ホンとの本

『読解力を身につける』
村上慎一
岩波ジュニア新書914
\860+
2020.3.

 ジュニア新書とはいえ、大人が読むに相応しいものが多い、というのが私の持論である。但し、今回は、国語の成績を上げるという目的がはっきりしている。国語の学習のためのコツというふれこみなので、恐らく高校生あたりが最適のターゲットということになるだろうと思う。
 最初は評論から。中学生あたりだと、この評論というのが最も苦手である。堅い文章が苦手だというのもないわけではないが、私は恐らく、語彙がないという背景と、社会や人生に対する問題意識がまだ芽生えていないという事情があるように感じる。無理もない。小学校の間は、ひとを信じること、正しく生きようとすれば報われるというようなことを教わってきたのだ。ひねた小学生でない限り、そのまま大して身の回りの構成員の変わらない中学生活でも、その延長上の人生観をもっていたところで、不思議ではない。
 しかし評論というのは、世の中の醜さや汚さをすべて背負った形で迫ってくる。苦しみ抜いた人の問題意識が、そんな中高生にどこまで理解できるかは、個人差が大きすぎるものであろう。よい子には、悪をなさざるをえないような人の痛みは想像できないのだ。
 そうした背景を踏まえた上で、評論について読解力をつけなければならない。もはや自分の体験というものを重ねて考えることはできず、想像の翼を拡げてカバーしていくのでなければならない。
 著者は、だからテクニック的にそこへ挑む。二人の高校二年生という架空の(?)対話相手を先生に向き合わせて、話を進めていくように設定するのが本書の構成である。まずは、要約という方法である。段落の内容を一文で纏める。これを段落毎に繰り返していく。香山リカさんの文章を具体例として用いるのであるが、なにも読者に問うという訳ではなく、先生と二人の高校生との間でどんどん進めていくから、読むほうは気軽に読めるであろう。これを次に縮約する。そして最後には要約となる。大人になると、けっこう先に要約ができるようになるのだが、国語問題に対するには、あるいはそこに至るまでに訓練していくためには、確かに本書が提示するように、次第次第に纏めていくというのが常道であろうと思われる。
 この評論についての解説が半分近くまでくると、最新の傾向としての「実用的な文章」のためにアドバイスがなされる。規約書や取扱説明書のような類である。これが理解できないと実際困る訳だが、現実にそれらは分かりにくいことこの上ない。そしてわざわざ読もうとしない生活が続くので、読まなくてもなんとかなるというふうにしかもう考えなくなってくる。そこで国語教育に取り入れるようにこれからなっていくわけである。
 さらにグラフや資料を読み取るための章が設けられる。まさか、という感じもするが、近年多い、高校入試での資料の読み取りは、この度の改革でますます比重を大きくしている。データをどう理解するかは、実は高度な問題を含む。データという、客観的な真理のような権威をもつものを示されると、その通りだと信じてしまう罠があるのだ。データも見せようによっては、見た者に思い込みや先入観を与えてしまい、結果的に勘違いをさせるということも可能なものなのである。政治家は最近は資料を提示して、国会質問のときにもテレビにフリップを見せることが多くなっているが、それも、自分の都合のよいように扱うわけであるから、批判的に見る目も必要になっている。
 最後に、ようやく文学的な文章が検討される。普通なら国語というと、まずここから入りそうなものだが、やっと文学である。しかし、評論とは異なり、文学というものは、いわば読者一人ひとりが自由に解釈してよい世界である。また、そうでなければならない。これを正解不正解を決める問題として扱うということに、ある意味で無理があるというふうにも思えるのだが、そのあたりを含めて、著者は、問題を目の前にした時には、自分で味わい解釈してよいという場面とは別の原則に従って対処しなければならないことを明確に示す。この意識が大切であることはよく分かる。好きで小説を読むのは自由にすべきだ。だが、自己投影などをしながら小説を評していくことはできない。つまり設問に答えることはできない。そこで、高校の国語の定番でもある芥川龍之介の『羅生門』を例に、読み取っていく場を設ける。すると冒頭の一文で実に多くの情報が与えられていることなどに気づいていくことになるが、この着眼点は、実は多くの小説にも適用できる。言葉から感情の機微にまで気づいていこうとするのである。
 さらに、章の合間に置かれる「コラム」は、章の内容に縛られずに、著者がその他言っておきたいことが随所にまぶされているものだというふうに思えるのだが、このコラムの一つひとつに実に味がある。あるいはむしろこここそが、著者が読者に伝えたいことではないだろうか、という気さえする。とにかくここはかなり高度な内容になっているように見受けられるので、本当は私はこのそれぞれの「コラム」が、輝いて見えて仕方がないのだが、しかしそう気にしないでよいという人は、それでもよいだろうと思う。
 このように、現実の高校生にとって、プラスになる要素がたくさんある本である。最後には書くことの意義が短く記されており、それは簡潔ではあるが、要は評論を読解するときに学んだ過程が、書くことを含めて国語全般のために非常に大切であるということを伝えようとしているように思われる。その意味でも「読解力」というものは大切なのだ。人生にかかわる読解力を身につけるためにはどうすればよいか。これが国語の教科が求めることなのだ、という考えを著者は呈していた。実用的な文章も含め、読解力の危機が叫ばれている現在、本書はやはりこのタイトルの通りに、「読解力」一筋に斬り込んできているものと見て間違いない。若い人々は、いろいろ気づかされることが多いのではないだろうか。




Takapan
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