『「自由」の危機――息苦しさの正体――』
藤原辰史・内田樹他
集英社新書
\1060+
2021.6.
コロナ禍から一年、見通しのつかない中ではあった。だが、本書の眼差しは、おもに二つである。ひとつは、あいちトリエンナーレ2019の「表現の不自由展・その後」展示中止である。内容をご存じない方は、お手数をおかけするが、検索でたくさんの情報を得ることができるだろう。その点、もうひとつの、日本学術会議の会員任命拒否である。時の管政権が、のらりくらりと弁明をしたが、とにかん政府批判をするメンバーは、会員に任命しないと言い渡したのだ。
前者は2019年の騒動であり、後者は2020年9月の事件であった。表現の自由や学問の自由などと挙げてもよいだろうが、政治的な発言を封じることを目指していることは、特に後者では明らかと見られた。
恐らく、集英社サイドが、かなり憤ったのではないかと思われる。「まえがき」は、集英社新書編集部の名前で書かれており、「自由」への侵害に対する怒りが伝わってくる。表紙のタイトルの下には、「今、この国で/何が起きているのか?/声を上げよう!」と、センタリングした文字が強く出されている。
また、本書は、背表紙には二人の著者名が並んでいるが、表表紙には、26名の名が並んでいる。多くの共感者を呼びかけて集め、原稿をまとめたのである。それらの殆どの人が、先ほどの二つの事件を取り上げて、それぞれの専門の角度から見える風景を、熱く語っている。
私はそれらをここで再現することはすべきでないと思う。誤解して適切でないふうに伝えたとしたら、本書の訴えを踏みにじることにもなりかねないからである。
代表の二人は、本書の最初と最後を飾っている。その間に並ぶ名前をここに列記してみよう。姜尚中, 隠岐さや香, 池内了, 佐藤学, 杉田敦, 阿部公彦, 石川健治, 望月衣塑子, 津田大介, 会田誠, 山田和樹, ヤマザキマリ, 平田オリザ, 桐野夏生 , 永井愛, 村山由佳, 上野千鶴子, 小熊英二, 山崎雅弘, 苫野一徳, 高橋哲哉, 前川喜平, 鈴木大裕, 堤未果。非常に濃いメンバーである。また、執筆するものがよく読まれている人々である。
読みやすいように、まずは「学問の自由」の角度を中心に、それから中程では「文化芸術の自由」について、そして最後は「自由」そのものを大きく捉える視点から書かれたものが集められている。どれも読み応えがある。学術会議や学問の世界について、一般の人が知らないような部分を説明してくれる人がいて、ありがたい。それは芸術の分野の背景などについても同様である。また、政治の内実をよく知る人の解説もあれば、知られていない海外の事情を教えてくれた人もいた。どの人も、政府のやり方を批判し、自由が脅かされている情況を強く訴えていた。かなり心情的に熱くなっているのがよく伝わってくるものもあり、権力サイドへの抵抗が強く表れていた。
ただ、私には、最後を飾った内田樹の文章が心に残った。その文章に少し読み慣れているせいなのかもしれないが、今回は「アメリカにおける自由と統制」というタイトルで、アメリカ合衆国の建国からの歴史事情を説明しながら、「自由」の概念そのものの成立とそこに含まれるものについて語っていた。これぞ哲学として語られるべき方向性であるものだ、と私は思うのである。そこでは最後に、自由と平等は両立が困難である、という点の指摘で結ばれたのが、特徴的である。しかし、論の初めは、「統治機構はどこまで市民的自由を制限できるのか」を問うた1859年のミルの問いから起こされた。アメリカが自由の国というが、「パッケージ済みの概念として近代日本に輸入された」だけでは、多分に「自由」の概念について、無経験の故にまるで分かっていないところがあるのだ、と指摘するのである。
本書のような考え方を嫌う人もいるだろう。確かに、「自由」について深い考察を重ねて述べた本ではない。自分の立ち位置から見える地平における危険とその傾向を、自分に言えることからここにこぼしていったという事情があるようにも思える。しかし、私たちはもうあの歴史を過去に置き去りにしてから、80年を数える。あのとき、一斉に政府を賛美する空気に入ったこの国が進んで飛び込んで行ったところを、忘れているのだとすれば危うい。そして、それは結果的に自ら選び採っていったことになるのであり、当時はそれを「自由」とさえ見なすことがあったのだ。
「自由」についての考察は、本書で終わるものではない。ここから、始まるのである。読者が、始めなければならないのである。その点、これまた編集部の手による「あとがき」において、このような言い方がなされている。「誰もが声を上げやすくなるように、本書がその一助となることを願っています。」
声を上げることは、もちろん望ましい。だがそれ以前に、この「声」をもたないことには、実のところ圧力に潰されていくだけであろう。戦時中も、思想が弾圧され、思想家が殺されていったのである。そのために、人々も大樹の陰にいることが当たり前だというふうになっていったのであり、あまつさえ、今度は自由を封殺する加害者へとなっていったのである。
ここから学ぶことは、きっとたくさんある。学ばねばならないことは、もっとたくさんある。

た
か
ぱ
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イ
ド