『日本の地震災害』
伊藤和明
岩波新書977
\735
2005.10
恐ろしい本であった。日本で起きた地震の数々を、淡々と説明する。どのように被害が及んだかを、さして感情を交えず淡々と事実として語り伝える。それだけに、少しばかり想像力のある読者は、身震いしてくる。なんと恐ろしいものだろうか。
それは、地震というものが、避けることのできないものだから、という説明もできるだろう。人間の手ではどうすることもできない天災であるから、もうこれは運命として諦めるしかない。とにかく、それは恐いものだ。
だが、待てよ。この本の著者は、実にたくさんの地震のついての研究資料を集め、また警鐘を鳴らしているわけだが、この本にメッセージをこめている。
地震そのものは避けることができないにしろ、その被害をいくらかでも少なく抑えることは、可能なのだ、と。
戦争が被害を拡大した、あるいは救える人を救えなかった、という側面。
言いつたえが功を奏した場面、あるいは逆に被害を大きくした場面。
津波への知識が人を救うというケース。
地震を想定しない安易な宅地開発や好景気による造成地が被害を拡大した事実。
そんなことが指摘されると、これは天に唾を吐くというよりも、すっかり人災に違いないではないか、という気持ちになってくる。
ことに、この本が10月に出版されて想定していない、マンションの耐震構造偽造問題は、まさにこの最悪のケースであるということを、読者は憤りと共に確認するであろう。
専門的な本ではない。だからこそ、日本で暮らす私たちは、心してこの本を見なければならない。明日も大丈夫だろう、ここは大丈夫だろう、という根拠のない臆見を排除して、私たちは冷徹に見つめなければならない。私たちの足元を。
阪神淡路大震災に割く頁はほんのわずかであっても、これだけの驚愕を読者に植え付ける地震の解説本というのは、どんなに迫力があることか。
著者は、その阪神地域に、1989年、確かな根拠を基に、地震が明日にでも起こりうることを警告していた。だが、誰もそれを本気にはしなかった、と言ってもよい。私の住む福岡でも、それと同じ経験を味わった。今すぐ、私たちは、受け容れるべきではないか。せめてもの備えをなさなければならないのではないか。この地震が、「たんなる」天災で終わるための方策を。