本

『デジタルキッズ』

ホンとの本

『デジタルキッズ』
坂本旬
旬報社
\1470
2007.5

 痛みを覚える佐世保の事件にも触れてあり、それがたんにチャットのせいであるかのように報道されたことに反論されていたので、与しやすいかと思い始めて読んでいった。
 サブタイトルは「ネット時代の子育て」とある。
 現代の子どもが、ネットというかつてない環境の中に置かれていることの意味を考えようという提案は、悪いとは思わなかった。だが、途中から何か、おかしくなってきた。
 著者が、自分の子どものこと、つまり、自分自身の子育てのことを詳しく述べ始めてからである。
 つまり、著者は、自分の子育ては正しい、という前提からすべてを論じようとしているのだった。かなり異様な環境であることは、読者がすぐに感じることだろうと思う。
 ネット初期から、かなりのネット環境にあり、子どもにもすぐにそれに馴染ませている。三歳から五歳にかけ、かなりコンピュータゲームに浸っている。小学校に上がるころには、テレビゲームにそうとう入れ込んでいる。
 それで親はルールを決めたという。一日三時間以内。兄弟で一時間で交替した上で、合計三時間。しかも、守れないことも度々あったと記してある。
 子どもが様々なシミュレーションゲームをこなしていくために、知識が増えて「博士」になったと自負しており、五年生でチャットに夢中になっていることも、いろいろな出来事を紹介して、コミュニケーションが優れていたと評価している。
 中学生ではネットゲームにはまり、ゲーム中毒になったと認めた上で、高校入試を控えて成績がどんどん下がっていったことが書かれている。しかしそのことを通じて、結局自分で行きたい高校を見つけることができた。親とも会話ができた。だからよかった。インターネットが悪いなどという理論は、根拠がない……。
 ついには、ネットゲームでファンタジーの世界がつくられていくと賞賛するに至る。
 どう思われるだろうか。私は親として、あるいは塾で子どもの相談を受ける身として、こんな子どもがいたら、一発叱りとばす必要があるようにしか考えられない。どこかで大きな「気づき」を経なければ、このままではいけない、と感じてしまうのだが、私のほうが奇妙な親なのだろうか。
 そのとき、子どもには絶対に「勉強しなさい」は言ってはならない言葉なのだというタブーを設定して、それを守ろうとする。教育方針にケチをつけるつもりはないが、子どもが自ら勉強が好きで堂々と勉強に邁進するのならいざ知らず、通常は、子どももそういうことを言ってほしい、と潜在的に思っていることもあるだろう。そう言われることで、自分が親から大切にされている、という安心感を抱くことも、世の中にはままあるのだ。著者が絶対に、と決めつけるほどに、禁句ではないはずである。子どもを大切に扱っているかのように見えるが、私は逆の作用を与えてしまっているのではないかという気がしてならない。もちろん、その子その親の様々なケースがあるのだから、特定の場合にも通用しないなどとは言わないが、著者が言うほどに、これを皆がやるべきだ、というふうな一般的な方法だとは思えない。
 ともかくこうして、著者は、自分の子育ての理論も結果も、すべて賞賛していくのである。それはとりもなおさず、自分自身を褒めているだけなのである。
 ネット先進の自信はよろしいだろうが、尤もらしいことを述べられても、全部が自分への賞賛にしか聞こえなくなってくる。これがこれからの子どもの姿であるとしたら、ネット社会は直ちになんとかしなければいけない、という気になってくる。




Takapan
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