『ジジイの片づけ』
沢野ひとし
集英社文庫
\660+
2025.3.
2020年に単行本として出版されたものの文庫化であるという。「ジジイの◯◯」という形で、年齢を重ねた自分を強調しながら、言いたいことを言う、というところであろうか。何も、それを誰かに押しつけようとはしない。だが、自分は自分の人生を生きてきたし、自分がこれをすることについては、誰かに指図を受けるつもりはない。そして、これがマイウェイだ、とばかりに世間に晒すことによって、もしかすると誰かの生きるヒントになるならば、それは少しばかりうれしいことである――などと、心境を勝手に私が想像してみたのではあるが、いくらかは当たっているのではないか、と思いたい。
ここでは「片づけ」がテーマである。「まえがき」にあるのだが、「若い頃は部屋をモノで溢れさせるのが喜びであった」という。もちろんそれは、人によることなのだろう。自分がそうだった、という自分だけの勲章を見せるようなものなのかもしれない。しかし後に、それが疎ましくなり、「もっと自由になりたい」というような考え方に方向転換したのだという。「自由」に気づくというのは、いいことだ。それは「解放」とも訳される西洋語に関わるとするならば、心が、もしかすると身もまた、解放されることになるかもしれない。
最初に提言するのが、「朝の10分間片づけ」ということだが、こうした具体的に指針には、読者は共感しやすいのではないか。事実、「解説」で大槻ケンヂ氏が、これはすばらしいと絶賛している。
ところで、本書の前半は、この類いが多く綴られており、すぐに読者の生活のヒントになり得る知恵がいろいろ鏤められているように思う。引き出しの扱い方、ノートや手帳に対する思い入れ。それは、押しつけがましくない口調で、こちらに届く。また、ノウハウを細かく指導するようなわざとらしさもなく、老人の呟きとでもいうような形で、さりげなく宝物が零れているようにも見える。
そもそも著者は、イラストレーターであり、エッセイストであり、絵本作家であるという。バンドでエレキギターを弾いてもいたという。児童書出版勤務もしていたことがあるというから、多彩な活動をしていたことになる。机の上に画材を置かない様子などが、扉のところに写真で示されている。実にさっぱりした生活スタイルである。文章で書かれていることが、こうして百聞は一見にしかずと見せられると、説得力をもつものである。
こうした前半部が、いつしか大きく変化する。ずいぶんと身の回りのこと、自分の思い出のことなどが綴られるようになり、果たして「片づけ」の話題がどこにあるのか、というふう にも思えてくるのである。もちろん関係がないわけではないが、カーテンや家、別荘や原稿用紙など、目に映るものや心に残るものが次々と描かれてゆく。「山登りは片づけ」というタイトルの文章があるが、登山にも熱中した頃があるという思い出話である。確かに、登山というものは、必要な物品を欠かすことはできないから、荷物が大したものになりそうではあるが、それでは歩けないし、登れない。必要最小限を、しかし十分な量のものとして携帯しなければならないのである。そのためには、絶対に「片づけ」というものが必要になる。なるほど、と思う。しかし、その教訓に触れてあるとはいっても、ずっと書かれているのは登山の思い出の描写が多い。このことは、話題を外れたなどというわけではないと思う。ただ、教訓や説教のようなものからは遠のくものであり、美しいエッセイとして味わいがある、というふうに受け止められるものであると思う。
最後は、また最後だから、であるかもしれないが、「死んだあとの片づけ」と題して、まず宇野千代さんの本にあった言葉が掲げられている。「死んだあとのことは、死んでから考えればよいと思います」というのだ。それを皮切りに、このテーマで文章が流れてゆく。それにしても、妻から言われた言葉が辛辣である。「もう、愛しているならさっさと死んでくれ」などと。そしてまた、思い出話が語られるようになってゆく。
しみじみと味わうエッセイとして楽しめばよいだろうと思う。そして、思い当たることのある読者にとっては、少しばかり勇気が与えられる読書のひとときになるのではないか、と感じている。

た
か
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