本

『民主主義』

ホンとの本

『民主主義』
文部省著作教科書
角川ソフィア文庫
\920+
2018.10.

 戦後すぐに文部省が著したという、中高生向けの教科書である。しかし驚くなかれ、文庫とはいえぎっしり埋まった小さな文字で、443頁まで本文がある。見事な著作である。昭和23年から翌年にかけて、上下2巻で刊行されたものが、文庫として一冊にまとめられているのである。これはこれまでも、改めて世に問うために刊行されたことがあり、抜粋版もあるという。だが文庫という手に取りやすい角川のコレクションに入ったことが、より知られるようになることができたのかもしれない。
 ちょっと興味があった。しかし即座にネットで注文はしなかった。現物を見てみたいと思い、書店に立ち寄ったときに開いた。なかなかシビアである、そして読み応えがあると思った。だが私が購入しようと決意したのは、本書の解説を内田樹氏が行っているからだった。説明はしないがこの人が解説をしているというのはただ事ではない。早速書店でその解説を開いたが、最初のところで虜になった。その言葉は、実は表の帯にも目立つように記されているが、どう少年少女向けの他愛もない内容の薄いパンフだと思った彼が、分厚い本を手にし、「読み終えて、天を仰いで嘆息することとなった」のだという。「それは今から七十年前に描かれたこの「教科書」が今でも十分に【リーダブル】であり、かつ【批評的に】機能していたからである」とも続いて記している。【 】部分には傍点がある。
 こうして私は入手して読み始めた。日々十冊近くの本を並行読みするため、本書にあてる時間は決して多くはない。その結果、読み終わるまでに何週間かを要した。しかし、その間、弛みもしなかったし、興味が薄れることもなかった。つまり、すべての頁で、これは「読ませる」作品だったのだ。黄色い蛍光ボールペンでラインを引き、とくに気を惹いたところにはフィルム附箋を貼る。こうして、まるで歯ブラシの如く毛羽だった付箋がカラフルに泳ぐ本となったのだが、読んで満足だった。というより、内田樹氏の言ったとおり、随所で、これは今の内閣の政治を知って書いているのか、と思う経験をし、くすりと笑うのであった。いや失敬、これは笑ってはいけない。深刻な問題だ。民主主義を育てないもの、害するものは何かということを、中学生に分かりやすく説明することが、そのまま今の政府の批判として通用するというのは、実は怖いことではないかと震える思いさえしたのである。
 そもそも民主主義とは何か。気取らず、飾らず、ストレートに若者の頭と心に入っていくように、実に分かりやすく書かれている。分かりやすく書かれていない本は、実のところ著者自身よく分かっていないものである。その点、恐らく複数の人の手によるものと思われるが、戦後たちまち書かれた、つい三年前までは軍国主義で鬼畜米英という思想で縛っていた国の中から、これほどに開けた思想がまとめられている本は、驚異的としか言いようがない。これだけの情熱とクリアさを以て、今、民主主義について私たちは書けるだろうか。無理ではないかとすら思う。それほどに、かつての軍国主義や独裁主義との差異を明確にし、民主主義の理想を四百頁に渡り諭し続けることができるというのには、本当に頭が下がる。
 民主主義の歴史を、それこそギリシアも踏まえて説く。もちろん近代ヨーロッパが基礎となる。戦後のGHQの管理の元で書かれた本であるから、当然アメリカよいしょであるはずだし、それでもよいのだが、アメリカにしても女性の選挙参加については威張れたものではないことや、制度の中での問題と見られることにも触れ、これは決して太鼓持ちなどではない。共産主義も、単純に批判するのではなく、その理想を大いに買い、しかしなおかつ独裁主義に陥る危険を警戒しているという、極めて常識的な見解が貫かれている。本当に、いま読んでも読み応えがあるのだ。
 多数決の意味や経済における民主主義など、いま私たちが深く問わないことなどにも十分な議論が展開され、畏れ入る。その上で、明治憲法が悪だというような見解でもなく、その中に十分よいものはあったが、使い方を間違ったような言い方をしている。これは、日本国憲法になっても恐らく同じことなのだろう。憲法がよいものであったとしても、それを使う私たちが使い方を誤れば、かつてのような失敗を踏むかもしれないという緊張を醸し出すような気がするのである。
 自分でよく考えること。考えるだけでなく、やってみること。やってみて、そして改善することを怠らないこと。自分で考え、自分の責任として行っていくこと。この空気に包まれながら、本書は心地よく読み終えられる。当時の書として仕方のないことだが、差別語や見解において若干高圧的な見方と感じられる部分がないわけではないが、それはやはり小さな部分であるとしてよいのではないかと思う。本書は、いま私たちが普通だとして意識しないでいるようなことにも気づかせてくれる。いま読むに相応しいものだと言えよう。
 そして、本書を読んだ上で、最後の内田樹氏の解説を読むとよい。16頁にわたるこの解説を読むために、この大部を読んできたのだ、と思わせるほどに、剃刀のような切れ味をもった解説に出会えるだろう。そこはここでネタバレはしない。ぜひ、本書を読んでから、解説をゆっくり味わって戴きたい。私も書店で見た解説は、最初の2頁だけだったのだ。後は読まないでいた。それでよかった。
 解説はこの文で終わっている。本書の執筆者たちについてである。「このような先人を持ったことを私は誇りに思う。」




Takapan
ホンとの本にもどります たかぱんワイドのトップページにもどります