本

『大地のゲーム』

ホンとの本

『大地のゲーム』
綿矢りさ
新潮社
\1300+
2013.7.

 綿矢りさを読み直している。否、初めて読むものが多い。本書は、きっといつか読んだ。だが、私の感想文リストにない。感想文を書き始めたのが2003年であるから、読んだとすれば間違いなくそれ以降である。どうしたんだろう、と自分のことが信じられない。
 2013年という時に意味がある。本書は綿矢りさには珍しく、空想の世界の出来事だと言える。つねにリアリティを感じさせるタッチであった。「人生ゲーム」のように、ファンタジー的要素があるものや、怪奇的という意味でミステリアスな話もあるにはあったが、本作は決定的に設定が空想である。
 巨大地震が次々と襲ってくる中、大学の中でのいざこざが物語を貫いている。場としては、大学紛争の中での学生運動の描写があるように見える。しかし、この巨大地震。当然、2011年の東日本大震災をモチーフにしているはずである。当時、そういう作家は多かった。地震や災害を舞台にし、そこから人間の関わり合いや自然との対峙を描くのであるが、誰でも考えることは似通ってくるものであり、どう書いても二番煎じになりそうであった。綿矢りさまでが、地震で目覚めさせられたアイディアに走ったのか、とも思えるのであるが、そこに学生運動を絡ませたというのは、確かに斬新であった。つまり、地震そのものや地震対策というものに触れることは全くないのだ。むしろ、巨大地震が何分後に来る、というようなことを探知する技術が実現している世界がそこにあり、ラストシーンでは、いま来るぞ、という地震情報の中でのばたばたとした動きが急展開に物語を動かしてゆくことになる。
 運動のリーダーなる者がいて、それが女学生をいいようにモノにしている。始まりでは、マリという学生を侍らせている様子が見える。この関係も、ラストでものをいうので、綿矢りさの伏線というものは、ちゃんと押さえておいた方がいい。
 女の私には、「私の男」なるものがいて、リーダーを初めとするメンバーとの関係も、複雑に描かれる。注意していないと、いま何が起こっているか分からなくなる。私は、「リーダー」にも心が靡いているのだ。
 舞台は専ら大学である。恐らく作者の通った早稲田大学をモデルとしているものと思われが、その狭い社会の中での出来事だけがそこにある。限られた人間と場所の中で、学祭へ向けての2週間の中での、いざこざと混乱、そして地震と破壊、そうしたものが入り乱れるばかりである。
 一種の「新境地」から描いた作品であるのだろう。だが、すっきりした筋道を通す、それまでの綿矢りさを基準にすれば、本書はあまりにも混乱している。糸が絡まり合うのはいいが、地震というモチーフと学生運動との絡みが、本当に必要なものであったのか、また、言うなれば何が言いたかったのか、という線でも、これまでとは大いに違う。「夢を与える」も、確かに救いがなかったが、本作は、殺し合うような事件も交えて、かなり陰惨である。地震で死んだ人々の描写も、東日本大震災の被災者にとっては耐えがたい描写がふらりと現れる。読んで気持ちのいい作品ではなかったように感じるし、それでも何か訴えるものが伝わってくれば読後感も悪くなかったのであろうが、何かもやもやとした感情しか遺らなかった。私の読み方が浅いということなのかもしれないから、作品を悪く言うことは控えよう。私は、少々悩みながら読み進んだ、とだけ言い添えておくことにする。




Takapan
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