本

『あなたは大学で何をどう学ぶか』

ホンとの本

『あなたは大学で何をどう学ぶか』
西山聖久
化学同人
\1800+
2023.12.

 サブタイトルに「一生モノの研究テーマを見つける実践マニュアル」と書かれている。嘘ではないだろう。ただ、大学初級の学生を対象にしたとあっては、難しすぎるように感じる。
 確かに、高校までの学習と、大学における研究とは、凡そ世界観が異なると言ってもよい。何をすればよいのか分からない、というのが本音だろうと思われる。
 ただ、しばらくは学ぶという意味では、さほど研究とかオリジナリティといったことにこだわらなくてもよいのも事実である。ただ、答えが予めある問題を出されてパズルのように解答を導き出して解く、という作業はなくなる。このスタイルを待ち望んでいた私のような者にとっては、大学は都合がよい場所なのであるが、高校まで与えられた問題の解法に情熱を傾けてきたエリート学生にとっては、確かに、大学でどうしてよいか分からない、という気持ちも分からないではない。
 本書は最初のプロローグでその点を明らかにし、本書で用いた方法を研究のために加えて、人生でも必ず役に立つものだとして、読者を誘う。「問題解決の方法論をスキルとして体得」してほしいのだそうである。
 最初のほうは、大学での「モヤモヤ」について解きほぐす。その正体を認知することができるように説くのである。そして、「問題解決」とはどういうことか、そもそも問題のみつけ方とは何か、という辺りのことに焦点を当てながら、説明する。  このとき、講義を受けることについての心理的な悩みを題材として、しばらく解説してゆくのだが、私はここで少し歯車が噛合わなくなり始めた。大学での研究の方法ではなく、大学で学ぶのは何のためか、といった、一つ上のメタレベルの問題を例にとっていろいろ話を詳しくしていったからだ。こうしたことを、「パラメーター」とか「生産性の評価」とかいう用語を取り混ぜて語り始めるから、いったい本書は何を促そうとしているのか、私は地図を見失ってしまったのである。
 続いてその解決の手順として、思考のテンプレートが出されてくる。「[行動、変化の内容](する)と、[改善することの内容](する)。しかし、[悪化することの内容](する)」というもので、[  }のところが四角に抜いてある。本書は、以後このようなテンプレートを事ある毎に持ち出しながら、問題解決への道をつくってゆくことになる。自分のテーマに合わせて[  ]のところに単語を入れていけば、形ができる、というのである。
 それはずいぶんと長くなることもある。[  ]のためには、[  ]が必要である。しかし、この際、[  ]が問題となる。ひとつの礼を挙げる。その解決策として[  ]が考えられる。これに関し、近年、[  ]に着目した研究が行われている。しかし、[  ]に関する知見は得られていない。そこで本研究では、[  ]と[  ]の関係に着目し、[  ]による[  ]への影響を調査する。[  ]の調整は[  ]により行い、[  ]の測定は[  ]により行う。
 ここでは、当初から例示していた、アルバイト生活の是非のようなことのための単語が入れられていたために、私は戸惑ったのだが、なるほど、ここに単語を入れると、論文の簡単なレジュメのような恰好を呈することができるような気もする。
 ここから幾らかアカデミックな話題に入っていくのだが、実例が豊富で、そういう意味で分かりやすくなっていくのは確かだろう。
 章毎に「まとめ」があるのも親切である。「まとめ」が極めて抽象度の高い表現になることを、私は理解できる。しかし、これを大学初級で読みこなすのは至難の業であると思われた。一度このような研究をした経験のある者が、改めて研究の骨子とはこういうものだな、と気づくのには向いているが、右も左も分からない学生が、このような「まとめ」でなるほど、と思えるだろうか。もちろん実例がある、と言いたいのであろうが、論文を書いた経験のない学生がそれを読んでも、未経験の事柄のシミュレーションをしているだけで、実感は分からないのではないだろうか。サッカーを一度もしたことがない人が、サッカー選手の動きや心理をいくら説明されても、それがいまからサッカーをすることの役に立つとは思えないのと同様である。
 さらに、その実例というものが、次第に理工系の色が濃くなってゆく。これは、著者がそういう畑の人である故にやむを得ないとは思われるが、なるほど、理工系の研究であれば、あのテンプレートに則って内容を入れていけば、一筋の形式ができるというのは本当かもしれない。しかし、人文系ではどうだろうか。何のレトリックも思惑も感じさせないテンプレートが、人文系でも本当に必要なのだろうか。役立たないとは言わないが、機械の部品を組み合わせることしか、人文系の論文でもやってはならない、というイメージは、私にはもつことができない。
 中学生に、推薦入試の作文を指導することがある。やり方は大きく二つある。一つは、形式パターンを教え、そこに自分の選んだ題材を入れ込めばできる、と教えるやり方である。しかし私はそうはしない。もっと、自分の中に生まれたものを言葉で表現できるように、導きたいと考えている。そのほうが、人生で役立つことは間違いないと信じるからである。
 本書の著者も、この本が人生で役立つように、と願っていたことをすでに紹介した。しかし、そこに記された方法は、テンプレートのパターンに入れるものだった。するとそれもまた、高校までと同様に、決まったテクニックで解答を導くことと、類似のものになりはしないだろうか。そのパターンというものが、本当に「人生を送るうえで必ず役に立つ」のであろうか。結局また、とにかくこの型に流し込めば研究というものはできるのだ、というハウツーを至上とするものになりはしないか、私は心配である。
 巻末1として、「40の発明原理」が一つひとつ図解して挙げられている。これも、実例がまずあってそれを分析すれば、このようなパターンの仲間に入れることができる、という述べ方はできるにしても、いまから問題を解決しようとする初級者が、これを役に立てるということが、どのようにできるのか、分からない。発想のために役立つとされた「オズボーンのチェックリスト」を、私はふと思い起こした。アイディアを新たに出すために役立つ思考法則のようなものである。
 巻末2としては、5頁足らずで、「KJ法」の説明がなされている。何のために置かれたのかもいまひとつ分からないし、これだけの説明で、なるほど、と役立てられるようなことになるのかどうか、これも私は疑問である。
 テンプレートという、初級者にも取り組めるかもしれない方法を扱っておきながら、結局は、経験者にしか納得のできないような説明ばかりがなされているような気がしてならない。まして、「マニュアル」として実用させるためには、あまりに難しいものではないだろうか。私には、それぞれの解説が、空回りばかりしているように思えてならなかった。つまりは、大学院生ならともかく、大学に入った学生にはお薦めすることができない、ということである。




Takapan
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